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はれあたまダイアリー

いつも楽しく読ませていただいてきました。ちょっと自分でもやってみようかと思いました。

プロの接客

2010年08月01日
涼しげな
トイレの
お花

ペコさんが
活けられたのだろうか
プロっぽいお仕事






今日のお昼も
このお店は満席

どの席にも必ず一度は足を運び
お話をなさっているPRIMAさん。

今回は
他の方のオーダーに
混ぜていただいて。

もうその方も
PRIMAさんの大ファン。
おお、
つかんでるなー、

ブログ仲間としてうれしい。

この前行った時
「はれあたま」じゃない
社会での通し名を
最後に1回だけ
こういう者です、
とお話ししたんですが

ちゃんと覚えていてくださって
今回は
すぐに
「○○さん」と呼んでくださって

「おおー!」

と、心の中で感心しておりました。

名前を覚えてもらえるって
スウィートですよね。



もうおなかいっぱいで
夕飯は
ビールだけになりました。



借金882兆円

2010年08月01日
家の光は
JAの仕事にしては
毎回中身のある雑誌です。

今回の特集は

「戦争と食べ物」








多分すばらしいことが書いてあると想像しますが
写真だけでも十分伝わってくるので
それをパラパラと見て

必ず見るのが
美輪明宏の人生相談
今回の相談は子育て関係で
もう終わっちゃってるよライン
やはり
そそられるのは
嫁姑系です。

そしてまたパラパラとめくると

「借金882兆円」

轡田隆史さんとおっしゃる
元朝日新聞論説委員の方のコラムです。

ギリシャの財政破綻から話が始まっていますが
日本の話へと進められていきます。

(前略)

 こうして長い自民党時代を通じて借金は増えつづけ、鳩山内閣もその路線から外れようとはしませんでした。
 ギリシャ以上に借金漬けなのに、世の中、平穏なのは、あちらと違って貯蓄も多いし、産業競争力もあるし、国債の大半は日本人のもの、といった「強み」のせいです。
 しかし、こうした放漫状態に首まで漬かって安閑としているのは異常です。
 「882兆円」という恐るべき数字を見ても、政治家も国民も何の想像力もわかないかのようです。
 ギリシャはついに、増税、年金カットなどを進めはじめました。一つの必然として、巨大な失業者社会になる可能性が見えはじめています。
 「882兆円」とは、抽象的な数字ではない。具体的な崩壊の姿なのです。

 政府はそれを先送りでごまかし、国家予算の在り方の根本的な論議を避けてきた。
 さて、菅新政権はどう出るのでしょうか?



で結ばれています。

財政再建と経済再生という
両側が切り立った崖のような
馬の背を
今の内閣が事を進めていくのは
至難の業でしょう。

それにしても
民主党の参院選総括の様子が
ニュースで流れていましたが
あまりの素人っぽさに
本当に残念でした。

今の民主党の中に
誰が悪かったとか言える資格のある人が
いるのでしょうか?

力不足が露呈している民主党、
それでも今現在政権を預かっているのは
事実です。
無い中にも力を結集して
やっていくしかないのに。

今日も
たかじんの委員会で
コテンパンにのされていた民主党、
いちいちうなづけるのが
残念です。

もう
国民の御機嫌取りはやめて
粛々と
はじめた方がいいと思いますけどね。


読み返してみると
私の文章も
バラバラで
よくわからず
民主党化してます。







速く読めるようになりたい!

2010年08月02日
最近
速読術がはやりだ。

どっかで研修を受けて学んだという
勝間和代さんは
情熱大陸の中で
1ページ3秒ぐらいで
ページをめくっていた。

速い読み方だけがいいとも思わないが
速く読めたら
どんなにいいだろう。

溜まっているあの本この本
アッという間に読めたら
どんなにいいだろう。

と思っていましたが
きのう
タレント本を買ったお店には
速読術の本が
何冊か
平積みしてありました。

その中で
この本を選びました。




決め手は
CD付きで
お得感があったことです。

テキストを
3倍速、4倍速、10倍速で
聞くことで
速読耳を作り
本を読む速さが
1週間で10倍になるというのです。

今は2日目で
他の本を読んでも
速くなった兆候はまったく表れていませんが

この本によると
1週間後には
私は生まれ変わっているはずです。

10倍の速さで読めるようになっています。

すごいでしょ。
1週間後に
そのすごさを
ご報告したいと思います。
その予定です。

ではまた。

タレント本

2010年08月02日



大森南朋
「さもあらばあれ」

今人気の写真家
蜷川幸雄の娘
蜷川実花による写真

旅館の布団で寝タバコしてる
写真がメチャいい。

無精ヒゲ、
ちょっとあかく焼けている畳、
枕元の大きな灰皿に吸い殻が5、6本。
うつ伏せで
吸ってタバコを消そうとする間際の
その写真がいいのよ〜!!!

父親で舞踏家の麿赤児、
兄で映画監督の大森立嗣との
3人の親子対談。

麿赤児さんが息子2人に

「一緒の中学なの?」

と聞いています。

「一緒だよ。中学のこと知らないところがすごいよね、親父なのに」

と南朋さんが答えています。

麿赤児さんが

「演劇」の「演」は

水の中に虎を放り込む

「演劇」の「劇」は

家の中で豚を殺す

そういう意味があることを
話していて
演劇って
そういうすごい字だということは
知りませんでした。
それぐらいやるつもりでないと
人は喜ばない
人の心は動かせないって
ことでしょうかね。

まあ、
いろんな人がべた褒めしてる
普通の
タレント本です。




マサミちゃんはアラフォーでない

2010年08月03日
年齢ネタ、
血液型ネタ、

だんだんと
興味がなくなり、
どうでもいいのですが

この前
地元有志婦人の飲み会で
マサミちゃんが

「職場の人に
 あんたもうアラフォーでないよ、
 と言われた」

とかわいく怒っていた。

マサミちゃんは
若くは見えるが
47才なので

タカザワさんと私も
職場の人に同意する。

いくら何でも47はもうアラフィフやわー。

「フィフ」を聞いて
ショックを受けるマサミちゃん。
わたしも40代の時は
「50」が恐かった。

ならいくつまでが
アラフォーなが?

まあせいぜいで43までやろ、

ええーっ!

と、どうでもいい話題で
他の婦人メンバーが揃うのを待ちました。


子どもが生まれてからのつきあいなので
もう20年になります。

子どもが大人になった分
大人はもっと大人になりました。

お寿司やさんのカッパ巻きはうまい

2010年08月03日
今日はうちの人ラインの
飲み会

鮎釣りを趣味とされる方がいて
初物の鮎をいただいた

今年の鮎は小ぶりだとか

それから
千石豆の胡麻和え




季節の食べ物
豆がごろごろしてなくて
味もちょうどよくて
絶品。


最後に
隣のお寿司やさんの
鉄火とカッパ巻きを
頼んでもらう。




これで
3人前って頼んだんだけど
4200円よ。

でも美味しかった。

カッパが

海苔の香りと
寿司飯と
わさびと
絶妙。

7人いたので
4200÷7=600で

一人600円となります。

数えてみると

カッパは
48個÷7≒6.8

で一人6〜7個

鉄火は
18個÷7≒2.5
で一人2〜3個となります。

こうやって計算してみると
私は
自分の分より
多く食べてきたことが
今わかりました。

人の分まで食べて
おなかいっぱいになったこともあってか
とにかく
廻らないお寿司やさんの
特にカッパ
美味しいと思いました。

先日取り上げました
「節約の王道」に

「子どもは廻らない寿司屋に連れて行く」

という項目があったのを
思い出しました。

アルコールは
生一杯と
イモ焼酎水割り一杯で

いい気持ちの今です。

いい気持ちのまま、
寝ようかと思います。




報酬をもらわない方が安くつく

2010年08月04日
前出の「コロンブスの卵の見つけ方」(秋元康)

の対談相手の一人に
2代目マツモトキヨシ社長、松本和那(かずな)氏が
でていらっしゃいます。
ご自身も社長であり、自民党衆議院議員ですが
お父さんも千葉の松戸市長をおやりになっていて
その話になります。

秋元
すごく感動したのは、先代が松戸市長になられたとき、報酬を一銭ももらわず、しかも職員の海外視察などはすべて自腹で行かせていたというエピソードです。いちばんカッコイイやり方ですよ。大きな声ではいえないけど、やはり政治家はお金を持ってなければダメですね。

松本
「死ぬ前に、先代が『何で市から給料をもらわなかったかわかるか』と聞いてきたことがありました。『カッコよくやりたかったんだろう』と答えると、『それもあるけど、給料をもらわなければ選挙がやりやすくなる』といっていました。当時、四年の任期で報酬はせいぜい2千万ぐらい。でも、選挙をやれば、そのくらいはかかる。結局、再選時には共産党も対立候補を立てず、無投票になった。だから、差し引きゼロ(笑)。むしろ安くついたんですよ。先代があとからつくった話かもしれませんが(笑)。

       −コロンブスの卵の見つけ方−

あとから作った話にしても
豪快だ。

鳩山さんも
鳩山さんのお母さんも
この話を知っていればよかったのに。

最近の政治家が小粒になったのは
システムのせいだという話も。
でも今日はもう遅いので
また明日書きますね。

「なぜ2番じゃいけないんでしょうか?」

2010年08月04日
この前NHK教育テレビで
秋元康と勝間和代が
仕事について語り合う
という番組をやっていた。

秋元康は
AKB48の仕掛け人であり
片や、美空ひばりの「川の流れのように」
の作詞者だったり、
つかめない活動ぶりと
穏やかな見た目と話し方から
何となく気になっていて、

それでその番組を見たのだけれど
おもしろかった。

どうおもしろかったかは
今度書くとして
それで
図書館で秋元康の本を検索してみたら

これが出てきて




これは成功を収めている起業家12人と
秋元康の対談集。

借りてみると
この本は2000年に書かれたものだった。

今から12年前。

でも読んでみると
そんなに古さを感じない。

すでにバブルがはじけ
日本は不景気時代
(というか、いつでも
 基本不景気なんだよね。
 バブルが特別な時代だっただけで)

それに
起業家として成功する上で
大切なことはいつの時代も
誰がいうのもそう変わらない。

それが何かは
また今度書くとして

「一等賞」について
書いてあったので
少し引っぱってみます。
普通の意見ですが
普通の意見が妙に浸みることがあります。

「だから、世の中には一等賞を狙う人と、一等賞じゃなくてもいいという人がいるんだとわかった。でも、やっぱり一流の経営者は、一等賞狙いの人です。ワン・オブゼムで楽しく社長をやれたらいいという人と、俺以外はみんなわかってないと思って一等賞を狙う人とは違う。考えてみればビジネスは競争なんですから、みんなで手をつないで仲よくなんて、絶対にできるわけがない」
  −「コロンブスの卵の見つけ方」−秋元康

事業仕分けで
蓮舫氏が
スーパーコンピューター予算に関連して

「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」

と話した。

1位を目指すあり方と
2位でいいというあり方と
全く違うものであり

最先端を目指している科学者に
「2位じゃダメなんでしょうか?」
などと言うのは
あまりの侮辱であり
返す言葉がないぐらいの失礼なことだ。

とさっきの箇所を読んで改めて思ったのだ。

はあー、
国会中継から目をそむけたくなる
民主党ファン
です。

政治家が小粒になったワケ

2010年08月05日
きのうの
松本和那衆議院議員の話の続きです。

松本
「自民党に入ってびっくりしたのは、唯一の選挙の基準が、何を考えているか、何を発言したではなく、委員会や会合の出席率なんです。マメでないと、この世界では生きていけませんそれと、完全な年功序列ですから、当選2回で政務次官、3回で部会長、そして五回で晴れて大臣ってわけですよ。」

秋元
「そういう慣習を壊そうと思われないんですか。」

松本
「中選挙区であれば、思い切ってやれる土壌はありました。ところが、小選挙区制になったら、党幹事長がすべての人事権と金を握ってしまったため、下手なことがいえなくなってしまった(笑)。中選挙区制のころは、一つの選挙区で定数が複数あるから、派閥同士で切磋琢磨したり、仮に無所属でも、当選すれば自民党に入ったりできた。それだけ許容範囲がありました。ところが小選挙区制では、政策を勉強する前に、まず、選挙区の支部長に指名されなくては立候補できないわけです。その人事権は党が握ってるでしょう。だから、党に物申す人間が減って、政治家が小型になっているんです。

      −コロンブスの卵の見つけ方−秋元康


これは「自民党」の話なのに
「民主党」が思い浮かんでくる。

それにこれは10年前の話ですからね、
今の自民党はもっと違うのかも知れません。

しかし
民主党はこれに近い…。

政治家は国を代表する一つの顔です。
それが小粒ばっかりじゃ…。

与謝野さんとか、虎之助さんとか
改めて政治家らしいなと思います。
がんばれ
立ち上がれ日本。

定数を減らすのもそうだし
小選挙区制も
見直してみてはどうでしょうか。

選挙に強い人が大切な政治家じゃありません。
そう思いますよね。



あっという間の人生

2010年08月05日
母がきのう
墓掃除に行ったが
あまりの暑さに
掃除をできず
あきらめて帰ってきた。

帰ってきて
父と墓の話をしている。

この猛暑なので
そっと生きている父が
どうやって参ったらいいか
相談している。

そのうち父が

「もうすぐ参ってもらわんなんようになる」

などと言う。

「そんなもんみんなそうやわ」

と母がかぶせる。

「考えてみりゃあ、
 うちでおらがいちばん年寄りじゃが。
 そんな時が来るとは
 思いもよらなんだ」

5年前に
祖母が亡くなって
それから
ずっと父がいちばん年寄りなのだが
だから5年が経っているのだが

気がついてみると
という感じなのだろうか。

その時の父の中には
祖父・祖母が生きていて
父がまだ息子だった時代
人生前半の
色濃い時代が
甦っているようだった。

大勢の人がいて
活気があふれていた時代。

気がつくと
いつの間にか年をとり
終わっていかなくてはならない。


暑い夏は
なぜか人生の夏も
思い起こさせる。

隠すほどにこぼれ落ちる色香

2010年08月06日
敬老会のご縁から
地域の盆踊りの練習にも
参加させてもらうこととなった。

とりあえず
炭坑節、むぎや、こきりこ、おわら節
の4曲。

むぎや、こきりこはいいとして
炭坑節
おわら節を
you tube で確認。

おわら節。

you tubeの中にいっぱいある。
さすが全国区。

町流しから、
舞台から、
企画物から。

しかし
歴然とする
体の線

若いお姉ちゃんの
ほっそりとした
体の線の優雅さは
もううっとりする。

編み笠をかぶっているので
顔は見えない。
しかし、
だからこそ
ほっそりとしたしなやかさ
手の美しさが引き立つ。

「着物」という
洋服に較べても
体の線が出にくいはずなのに

なぜか隠せば隠すほど
若い色香がこぼれ出る。

男をたぶらかすなら
着物ですよ。
若いお姉さん方、
ウヒヒヒヒ…。

今年のトマトは赤い

2010年08月07日

ザ・「渓流」荘

2010年08月07日
おはな坊さんのブログで
渓流荘の写真を拝見して

だいだい色が洩れてくる
何と味わいのある雰囲気だろう

これは私も行かなくては

今日の昼に父母とまほろばちゃんを誘って
行ってきました。

ネットに
「渓流荘」と入れると
結構
いろんなところにあるみたい。
北海道、長野、

でも
お店に行くと
この南砺市・平にある
このお店が
「渓流荘」以外の名前はない
ことがよくわかります。

だって
この景色が
お店の椅子からよ。




作ってあるんじゃなくて
もちろんホンモノ。

川の流れる音
いや、やっぱり
渓流よ、
渓流の音がずっと心地よく包んでくれる。

いやー、別天地だった。

お蕎麦も
もちろんおいしくて
豆腐の刺身もイケてます。

そして楽しみだったのは
ゆきんこさんにお会いできること。

お店に入った時から
なぜだか見分けてくださって
いろいろとお話ししてくださった。
誕生日に息子さんから
千華園のお花をプレゼントされるだけのことはある
(いや、うらやましいですな
 そう言えば、ご子息は
 スキーで有名なあのご子息とわかった)
雰囲気が柔らかで
ステキな方だった。


父母が
いい気伸ばしができたと
とても喜んでくれた。

遠方からお見えになったお客様は
ぜひ一度お連れになったら
いかがでしょう。

ホンモノの水車も
入り口でおもてなしです。


だから草刈が好きだ

2010年08月08日
きのう今日と
田んぼの草刈





マイ出来高

田んぼの横の道を通ってく
軽トラはとなりのおじさん

わたしにピースサインをしてくれた

この年になって
言うのもあれだけど
草を刈っていると

褒められる

わたしたちの親の世代の人に

さっきのおじさんのピースサインだったり
ニコニコの笑顔だったり

「えらいねえ」

と言ってもらえる。
多分そうだと思う。

それと草の匂い。

田んぼのイネと草の間の
湿ったなつかしい匂い。

だから精を出して
午後からまた行ってきます。

涼しげ
などんどこ。

今日本に必要なのは「落合力」だ

2010年08月08日
テリー伊藤は熱狂的な巨人ファン、
そして長島茂雄信者らしい。
そのテリー伊藤が書いた本

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」角川書店

「日本全体が、成長しきれない子どものような国になったおかげで、いま日本は国力が落ちている。国民は右往左往しながら、ただただ、たむろしている。
 そして、そういう国のなかで、落合だけが、どんなに嫌われても、勝利だけを唯一の目的として、我が道を進んでいる。
 群れず、はしゃがず、黙って信念を貫いていく。
 媚びず、言い訳せず、不気味なほど寡黙に勝負して勝つ。
 そこには、古き良き日本人が持っていたパワーがある。同時に、日本がいまだかつて持ち得なかった新しい価値観がある。
 それを私は「落合力」と呼ぶ。」

                 プロローグより

ドラゴンズの監督と言えば
星野監督が浮かぶが
落合になってからの方が
残した結果は上回っている。

日本シリーズで
山井が1イニングを残して
選手交代させられ完全試合の機会を失ったのが
印象に残っているが

WBCでも
ドラゴンズからは一人の選手も出なかった。

すべでは公式戦での勝利を目指すため。

徹底した合理主義で
目的を目指す。

人の目を気にしない。
自分のやり方に自信がある。
そして
成果を収める。

そういう人が欲しい。
日本民族が生き残っていくために
その目的のために
落合のように道を歩める人。
私も落合が好きだから
テリーさんの言うことわかりますよ。

落合をマイケルジャクソンにしてはならない
とテリーさんは言う。
死んでから、去ってから
その良さがわかる
それではだめだと、
生きて活躍するうちに
わたしたちの方がその良さに気付けと。

最後に
落合の推進力の元である
信子夫人との
なれそめについて書かれているところを。

「監督。そもそも、信子さんのどこに惚れたんですか?」

「そりゃあ、きれいだったからだよ。初めてあったとき、世の中には、こんな美人がいるのかと思ったもん。」



自分の価値観を大切にできる
落合が好きだ。


いじめは当たり前

2010年08月09日
「人間の器量」福田和也

第1章「なぜ日本人はかくも小粒になったのか」

の中にイギリスのパブリックスクールについての
記述があります。

 イギリスでは学齢に達すると、前述したイートンやハローといったパブリックスクールに通います。
 パブリック・スクールの多くは全寮制をとり、冬でも割れたガラスがそのままにされ、寒風吹きすさぶなか、毛布一枚で就寝するというスパルタ式の教育を受けます。
 上級生からのいじめもはなはだしいもので、冷水につけられたり、体罰を加えられたりするのは当たり前。身分に関わらず辛い日々を送ります。
 そのため、トラウマを抱く生徒も多く、作家のグレアム・グリーンなどは、死ぬまでパブリック・スクールを呪っていました。
 けれども、そうした慣習が批判されず、改められなかったのは、生徒がみな特権的な階層だったからでしょう。
 いずれ父祖からの財産を継ぎ、安楽な暮らしをする者は、子供時代に厳しい生活をしてしかるべきだ、とういう共通認識があったのだと思います




これを読んで
先の学習院騒動を思い出しました。
学習院は
皇族・華族などしかるべき位置に着く人のために
作られた学校ではないかと思います。
このイギリスのパブリックスクールのような
校風を目指していたのではないかと。

普通のわたしたちのものさしでは
計れなかった世界、
例えば相撲界、学習院も
そうかもしれません。
わたしたちのものさしで
計れるところまで降ろしてしまえば
それなりの成果品にしかなりません。

うまく言えませんが
人を育てるという点で
日本はまだまだむずかしい時代が続きそうです。

抜け毛に注意

2010年08月10日
久しぶりに美容院に行って来た

美容院のいいところは
女性週刊誌が読めるところ

銀行になくなってしまって
あのカラフルな表紙の山に
お目にかかれるのは
美容院だけ。

あの表紙を見るだけで
幸せな気持ちになる。

「ああ、大分痛んでますねー」

髪をゆすぎながら言われる。

そうだろう、
洗うたびになんか
髪がぎしぎしいってたもん。

「猛暑の秋口は
 髪が疲れて
 ごそっと抜けますよ

ギクッとする。

「でもそのうちまた回復するから
 大丈夫ですけどね。」

本当に回復するのだろうか。
不安ではあるが
そういうことらしい。

みなさん
普段より多めに
髪が抜けても
驚かないでもいいですよ。
みんな一緒ですからね。

多分、
回復するってことですから。

サプライズがごちそう

2010年08月11日
今日はお茶のお稽古です

水指(みずさし)は
お茶のお道具の中では欠かせないもので
ぐらぐら湧いた釜に水を指したり、
お茶碗を洗ったりするのに
お水が入っている道具です。

たいがいは焼き物が多いのですが
例えばこんな




今日のお稽古の水指は
金属





「先生、あれは何でできているんですか?」

「何やと思う?」

「うーん、金属に見えるんですけど。
 銅でもなさそうだし、
 鉄っていうこともないですよね。
 ニッケル?」

なんてまるで見当がつかなくて
元素記号を思い出して
浮かぶ金属名を言ったりして
ふざけた答えしか出てこない。

先生が

「蓋を開ければわかると思うから
 それまで答えは秘密」

などとおっしゃるものだから
お稽古の途中の蓋が開く瞬間を待つ。

夏の水指は浅くて広いものが多く
水指の蓋の裏に趣向が凝らされている
こともよくある。

羽織の裏地や
蓋の裏
見えないところに凝る、
チラッと見えるところに凝る、
日本文化の一つの典型。

蓋が開く。




わあー、まぶしい!
外見とは全く違う景色!

「わあー、錫(スズ)ですか?」

とわたしがお尋ねしたら

「いいえ、です。」

「ぎゃー!」

とびっくりして
その後は
神々しく光る
水指ばかりに気をとられ
自分のお稽古の時にも
早く蓋を開けたくて
手順をまちがえてしまいました。

ちなみに
銀でも純度の高いものは
良質で知られる
南鐐二朱判にちなんで
「南鐐(なんりょう)」と
呼ばれているようです。

外側は文字通り
「いぶし銀」

中はまばゆいばかりの光沢で
美味しいお菓子をいただいたのですが
それも吹き飛んでしまうぐらいの
ごちそうでした。


1Q84

2010年08月11日
マキちゃんから貸してもらって
「1Q84」
読みました。

面白いのか面白くないのか
よくわからないのですが
とにかく次が気になって
合間を縫っては読みふけりました。

次を気にさせるところは
さすがだなと思います。


人や人生の本質を言い当てたような
表現にハッとさせられたり

例えば

希望のあるところには必ず試練がある。」

ここには全部、点がふってあります。
続いて

「あんたの言うとおりだよ。そいつは確かだ。ただし希望は数が少なく、おおかた抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ。それも俺が身銭をきって学んだことのひとつだ」
             第3章より

かっこいい。

持っていかれます。

それとはまた違うのですが
妙に細かいところまで
具体的な描写でおもしろかったり、
これはある小学校の女性教師を
表現しているところです。

「太田俊江という女性教師とは放課後の教室で話をした。おそらく五十代半ばだろう。その見かけは、市川の小学校の洗練された副校長とは見事なまでに対照的だった。単身でずんぐりとして、後ろから見ると甲殻類のような不思議な歩き方をした。金属縁の小さな眼鏡をかけていたが、眉と眉とのあいだが広く平らで、細かい産毛がそこに生えているのが見えた。いつ作られたのかは見当もつかないが、いずれにせよそれが作られたときから既に流行遅れだったのではないかとおぼしきウールのスーツには、防虫剤の匂いが微かに漂っていた。色はピンクだが、どこかで間違った色を混ぜ込まれたような、不思議なピンクだった。おそらくは品のよい落ち着いた色調が求められていたのだろうが、意図が果たせぬまま、そのピンクは気後れと韜晦(とうかい)とあきらめの中に重く沈み込んでいた。おかげで、襟元からのぞいている真新しいブラウスは、まるで通夜に紛れ込んだ不謹慎な客のように見えた。白いものの混じった乾いた髪は、いかにも間に合わせという感じでプラスチックのピンでとめられていた。手足は肉付きがよく、短い指には指輪はひとつもはめられていない。首筋には三本の細い皺が、人生の刻み目のようにくっきりとついている。あるいは三つの願いが叶えられたしるしかも知れない。しかしたぶんそうではないだろうと牛河は推測した。」


わたしも
ここ何年も指輪をしたことがありません。
大きくカテゴリ分けをすれば
わたしもこのジャンルの
表現をされるなと。

しかし
少し残酷な
こういう表現がたまりません。

普通ならあり得ないと思えるロマンスも
力わざで最後まで持って行かれました。

続き出たら
また貸してね、マキちゃん。





球場のビールの売り子さん

2010年08月11日
茶の間のテレビを
デジタルテレビに替えたら
今まで減りに減っていた
プロ野球中継が
BS放送で
ほぼ見られるようになった。

しかも6時からやっていて
熱心なジャイアンツファンの
父母がテレビで観戦している。

最近ジャイアンツがよく負けて
父は可愛さ余って
G選手をひどく毒づく。
そんなに言うぐらいなら
見なければいいのに、
といつも母と言っているが
毒づきながら見るのがいいらしい。

今日もテレビで試合をやっている。
神宮球場。
客席にカメラが切り替わって
タンクを担いで
ミニスカートでビールを売る
若い女性が映る。

そう言えば
母が東京ドームへ観戦に行ったとき
(一度だけ行ってきた)
いちばん感心していたのが
ドームでビールを売り歩く
若いお姉さんたちだ。
客席の階段はかなり急だ。
そこを
ビールが入ったタンクを背負って
昇ったり降りたり。
かなりのきつい仕事だ。
もくもくとビールを売る彼女たち
の仕事ぶりに感心して
母は何度か思い出しては
あの人らちえらいわ
と口にしていた。

ヤフーの質問箱の回答によると


売り子さんが身体に装着している樽・つまみ・コップ・つり銭などの総重量は13キロ〜15キロです。それを背負って急な階段を上り下りしたり基地へ戻るとき
は常にダッシュという決まりがあります。それを約3時間続けるのですから、かなり体力を必要とします。ちなみに私は1試合で最高4キロ体重が落ちました。
それくらいハードなお仕事です。

ということで
25才までの年齢制限。

ビール会社によってはコスチュームの関係で
容姿も関係あるらしい。

それなりの身入りもあるのかも知れないが
きつい仕事には間違いない。
鍛えられるだろう。

軟弱なうちの娘には
とてもつとまらない。

そうか、
25才なら
私も無理だな。

ほかの道を目指そう。

矢沢永吉のお金の話

2010年08月12日
テレビ番組を見て
何でも録画しまくっているが
その中に

「糸井重里と矢沢永吉の今だからこそお金の話」

という番組があった。

二人の組み合わせと
「お金」のタイトルに惹かれて
録画したのだと思う。

この二人は長年の友人とのこと。

ロックンローラー、矢沢永吉に
お金の話をさせるという
糸井重里の企画は
キンコンカンコンだった。

矢沢永吉は
話もうまいのね。
40人を抱える会社の社長さんでもあるのだが、
力が入らず、飾らず、
飽きさせない話し方は何とも魅力的。

しかし1998年に
ずっと一緒に仕事をしてきた部下に裏切られ
35億の借金を抱えたときは
もう終わりだと思ったという。
自暴自棄になって酒ばかり飲んでいたという。

しかし
1週間もすると酒を飲むのに飽きる。
その頃を見計らって
スタッフ、そして奥さまが

「もうお酒を飲むのも飽きたでしょ?
 あなたは矢沢永吉ですよ。
 35億というお金は
 矢沢永吉にとって
 決して返せないお金ではない」

矢沢永吉は
何度も聞き返す。

「え、ほんとにそう思う?
 ほんとに?」

「もちろん大丈夫」

その言葉に支えられ
矢沢永吉は再び全力で活動を開始する。

そして借金完済。

人生もドラマティック。


糸井重里がまた
じゃまをせず
話をうまく引き出し、
すごい人なんだと
はじめてよくわかった。








「お前にはいつも敵がいる」

2010年08月12日
矢沢永吉のお金の話

番組の終わり頃
教育論というか
娘さんにいつも言っている
永ちゃんの言葉が紹介される。

娘にいつも言ってるの。
お前には敵がいる。
ものすごい敵がいる。
ちょっとでも油断すると
ガーッと襲いかかってくる、
敵がいるんだぞ。

その敵は何かっていうと

苦労してない

っていうこと。

生まれたときから
冷暖房があり
食べることにも全く不自由していない、
そのことへの
危機感を意識させる。
それが永ちゃんのやり方。



きのう
深夜高速バスで
娘が帰ってきた。

それぐらいのつましさはあるが

球場のビアガールなどは
とてもじゃないけど
「無理、無理、無理」
(オロナミンCの上戸彩風に)

わたしもマネをして
「あんたの敵を教えてやろう」
と一発ぶろうか。

でも親と一緒に暮らして
朝ご飯も作ってもらってて
客観的に見て
何かといえば甘えている
私が言っても
空気が抜けてる風船のように
力もなく
娘に伝わりそうもない。

だって
4日しかいない。
甘やかしに甘やかして
送ることになるだろう。

すみません。永ちゃん。


4日は短い

2010年08月13日
12日の朝について
15日の夜に帰っていくので

今が折返し時間。

今日は昼間は
娘は高校時代の友達と会いに
出かけていって

夜は私が盆踊りの練習で
出かけたりして

一緒に過ごす時間が少なかった。

夕飯を一緒に作って
私は出かけ
9時から
一緒にテレビを見て
娘がお風呂に入るというので
私はブログに触っている。

ちょっとでも
一緒に時間を過ごしたくて
ブログを書くのを我慢してた。

だって
4日って短いんだもん。

離れて暮らす娘は
離れた場所での生活が
帰る度に色濃くなっている。

そして
なんだか
きれいになっている気がする。


私は
母親なんだから
別にあれなんだけど
とにかく
一緒に過ごす時間を
大切にしたいと思うのよ。

だって楽しいんだもん。


暴力は力のない方へ流れる

2010年08月14日
ローラさんの「かわいい笑顔が」

お子さんのかわいさが
手に取るように
表現されていて
思わず微笑む。

そのあとに出てくる
幼児虐待の新聞記事の中の
子供たちへ寄せる思いが
胸を突く。

後を引くブログでした。

「子供への暴力」ということに
無関心ではありませんが、

最近
メガネがないと
新聞が読めなくなりました。
「なんか書いてあるなー」
と思いながら
メガネを持ってきて
読もうとしなかった。

だから
ローラさんの「何もできない」
という自分へ引き込んだ書き方が

私のこの無関心は何だろう

と非常に後ろめたい気持ちになったのであります。

さっそく
「届かぬ叫び」を5日分
切り抜きました。


水が高いところから
低いところに流れるように

暴力は
力のあるところから
力のないところへと流れていきます。

たとえば
私の子供が小さいとき
現実的に家をまわしている
父母そして夫などと
面白くないことがあったとき
私のいらいらの行先は
収入のないばあちゃん、
もしくは幼い娘でした。

ものが言えない
幼い子供たちは
暴力の犠牲になりやすいのが現実です。

私たちに何ができるでしょう。

児童保護防止法が改正され
今は
虐待かと疑われる場合
通報の義務があります。
残念ながら罰則はありませんが。

それが虐待でなくても
通報者は
罰せられることはありません。

児童相談所
あるいは
役所でも構いません。

私がCAP(子供への暴力防止活動)
の中で聞いたことがあるのは…

子供の幸せはお母さんの幸せ。
お母さんが幸せなら
子供を殴らなくてすむ。

こんなこと言っていても
実際
児童虐待に
何ができるかというと
何もできないことがほとんど。

でも
だからこそ
遭遇した時は
見過ごさないでほしい。

見過ごさないでおこう。

それしか言えない。
しつけと暴力は

褒めの効用

2010年08月14日
先に取り上げた

「人間の器量」福田和也 著 新潮新書

第二章 先達の器量に学ぶ

のなかに出てくる一人に伊藤博文がいます。

伊藤を紹介するにあたって出てくるのが
松下村塾です。

あの吉田松陰の松下村塾です。
安政の大獄で刑死しますが
享年29才です。

坂本龍馬もそうですが
一部の人の吉田松陰の崇(あが)め方は
並々ならぬものがあり
どういう人だったんだろうと
時々思います。

薩摩の西郷、長州の松蔭と云うけれど、実際、松蔭は何もしていない人です。
何もしていない、というのは乱暴ですが、それに近い。
(中略)
牢屋には入れられたことがありますが、女性は知らなかったようです。
少年のような人で、人生経験というほどのものはなかった。
松下村塾という私塾を営んでいただけです。
けれども、その塾が爆発的な意義を歴史にもたらした。
何がそんなに凄かったのか、というのは答えるに難しい。
とにかく、生徒を褒めた。
けちけちしないで、徹底的に褒めたのですね。

高杉晋作も、久坂玄瑞も、山縣有朋も、品川弥二郎も徹底的に褒めた。

         −伊藤博文の周到−より

「褒め」が
ひとつの国を動かしていったのですから
すごいですね。

経験の少ない
30才にも満たない若者が
褒めることで
若者の才を伸ばしていった。


若者に教えるものなど持っていませんが
褒めることならできる。
うまい褒め方でなくても
邪心さえなければ
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる方式で
どんどん褒めたいものです。

お金をかけず
人を育てる
エコで効率のいい
「褒め」

南砺市で今年やってらした
「七転び八起き塾」のことが
思い出されました。
多分そういうところを
狙っていらしたんでしょうね。


話は吉田松陰に戻って
そういう中でもあまり褒められなかった
伊藤博文の話は
また今度。
 

あっという間の墓参り

2010年08月15日
毎年
3か所のお墓を回る。

うちのお墓と
ばあちゃんちの墓と
夫の実家のお墓。

持ち物は
じゅずと
ひとお墓につき
線香1、ろうそく2、マッチ
お花(菊を数本とアスターとか)

お墓まで車で行って
降りて
3人で歩く。

今年は知り合いに合わず
ほかの人と口をきくことがなかった。

お墓の前まで行って
ろうそくに火をつけ
線香に火をつける。

今年は風がなく、
ただ暑い日で
火はつけやすかった。

それぞれのお墓の下にいる人に
今年も3人で来られました、
これからも見守ってください、
と心の中で話しかけて、

でも手を合わせるのは
10秒ぐらい、かな。

それでもう、
終わり終わりと墓を後にする。

お盆の
やっつけ仕事になってしまっている。

やはり
将来的には
ひと節
お経とかあげられるようになると
かっこいいかもしれない

もう少していねいな
墓参りができるようになりたいと
思った。




千石豆も最初はいいんだけど
もうあきちゃった。
ところが本格的に実をつけ始めるのは
飽きちゃってから。

どなたか
いかがですか?

即答するバカ

2010年08月16日
今日 夜
娘を送りに
高岡駅南口ロータリーへ

深夜高速バスは
だんだん増えてきている気がする。

一人ぼっちで取り残された
わたしの経緯を踏まえ
娘も乗るバスを確認する。

「○リオンツアー」

それと思しきバスがやってくる。

しかし何名かのチェックのあと
早々に荷物入れの扉を閉められる。
チェックが終わったっていうこと。

「○リオンツアーですよね」

ほかのお客さんが
そのバスの運転する人に尋ねる。

「別の○リオンのバスが来ますよ。
 このバスは
 グレードが違いますので

通訳すると

「このバスのほうが格が上で
 あなたの乗るバスは格が下です。」

という風に聞こえた。

ほかのお客さんに対しては

「別の○リオンのバスが来ますよ。」

だけでよかったのに。

そこで思い出したのが

即答するバカ」梶原しげる著 新潮新書


副題と思われるオビの言葉は

「口に出す前に考えろ!」

確かに。

梶原しげる氏はアナウンサー。
しゃべる言葉のプロとして
気になる点が取り上げられている。

表題の「即答するバカ」は
要するに
目の前の相手の気持ちをくみ取る
会話ができなくなっている
現代を嘆いている本です。

その中でうまい話し手として
何人かの人が出てきますが
一番心に残ったのが
毒蝮三太夫さんの仕事です。

深刻な話を笑いに変える

「今日やって来たのは、できたてほやほやのきれいな店だ。なのになんだい、客は汚ねえじじいとばばあばっかじゃねーか」(爆笑)
四十年も続く長寿番組だからファンも年季の入ったお年寄りが中心だ。時間的にも若い人は参加しにくい。
「お、若いのがいるな。がんもどきが頭に蚊取り線香くっつけたみたいな野郎だ。(爆笑)今日、仕事はどうした?」
 若い人といえば、威勢のいいトラックの運転手さんが、深夜の仕事を終えて駆けつけてきたというケースが多い。蝮さんもそんな思いでマイクを向けたはず。
ところが答えは想定外で深刻なものだった。
「会社潰れて失業中なんす」
「潰れたって?クライスラーか?(爆笑)え、ずっとちっぽけな会社です?お前が揺すったら潰れたか?潰れたのは顔だけじゃねーんだ。(爆笑)でも、よく見りゃあ、がっちりした良い手してるじゃない。何やってたの?」
「板金関係っす、屋根なんかの」
「そのがっちりした手なら腕は確かだ。職人は腕さえありゃ大丈夫だ。この店の屋根が雨漏りするらしいから勝手に修理して金にしちまえ(爆笑)。頑張れよ、蚊取り線香!(爆笑)」


もう1個
好きだったのがこれ


蝮さん
「みんな辛さや悲しみ、悩みを持って生きてるんだよな。人間は生まれた時から悩みが始まるって、昔の偉い人が言ってた。(しみじみした調子の後、客を見渡して)なあ、そこのきたないおやじだって、悩みの一つや二つあるんだよな」
お客
「俺、ないよ」
蝮さん
「悩めよ、まずその顔を!(爆笑)


  第1章ちょっとした物言いの「すごい力」
   3 新旧の達人に学ぶ「毒舌力」
     深刻な話を笑いに変える  
                  より  




小粒な親

2010年08月16日
夕飯の支度をしようと思って

あ、娘がいない

と思う。

昨日はここにいた娘が
もう
600キロも離れた場所の
空の下にいるのだ。

うそみたい。

どっちがうそかわからないけど
うそみたい。


昨日は娘が刻んでくれたキュウリを
今日は私が刻む。

この皮むき汚いよ
と娘が言っていた皮むきで
じゃがいもの皮をむく。

今回は
4日しかいなかったので
親子遊びが
濃厚になってしまった。
娘がここに暮らしていたときみたいな
親子ごっこ。

けんかしたり
腹を立てたりする暇もなかった。


たとえもう少し近まで暮らしていたとしても
娘はもう
私の娘だった娘ではない。

大人になった娘とは
どっちみち
別れなければならない。

頭でわかっていても
心でわかっていない。

うまくすれば
そういう悲しみを
そう引きずらず
何かの都合で紛らわせられる時もあるんだけど

今回は
今日はぼーっとした一日で
喪失感を
十分に味わった日だった。


でも今日ももう終わる。


明日はまた別の日。


ふとした時に見える人間の器量

2010年08月16日
先出の「人間の器量」福田和也著

吉田松陰にあまり褒められなかった
伊藤博文の話です。

伊藤は百姓とさえいえない身分の出
だということですが
松下村塾に入ったことで運が向いてきた。

時には人も殺し、
思い切りの良さと、
機を見る進退のセンスの良さで
のし上がっていく。

また
伊藤にとって幸運だったのは、
大先輩(西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通)
が相次いで死んだこと。
(運がいいのも才能のうちで、こういう運がいい人が
上に立つと組織自体がうまくいくところがある。
運がいいというのは指導者の重要な資質で、ツキのない人が上に立つと下はたまったものではないと福田さんは言います)

憲法制定に関する天皇への対応も
なかなか面白く書かれていますが
今日は伊藤の女性への対応について。

「伊藤といえば、
 女性関係についても避けられません。
 晩年まで漁色を続けて、倦むことがなかった」


本人は常々
「私はよい家に住みたいとか、巨万の富を蓄えたいなどと思ったことはない。
ただ公務の余暇、芸者を相手にするのが何よりだ」
と言っていたといいます。

芸者に抜群に人気があったと
伊藤の彼女だった芸者の田中家千穂が書いています。

「例えば踊りを見ていても、唄を聞いても、そういっては失礼ですけれども、あの方たちには本当の良さは分からないに決まっています。伊藤さんはそれでも踊りなら踊りを踊っている間は決してほかの用談を話さない、じっと芸を見ていてくれます。桂(太郎)さんのような方はそうじゃない。ふと思い出すことでもあると、芸者の踊りはそっちのけにして、「ちょっと」とかなんとかいって、モソモソ話を始めてしまいます。伊藤さんははなしかけれてもただ「フム、フム」と答えるだけで、むしろそれに耳を傾けることを避けておりましたのに、桂さんは平気でそれをやりました。」

福田さんはこう続けています。

「花柳界は華やかですが、厳しい世界です。いい旦那を得たり、堅気になって人の女房になったり、いずれかのお茶屋の女将に収まる、といった人は少ない。ほとんどが病を得たり、借財を抱えたりといった苦しい人生を送ることになる。
 そういう世界で、意地になって磨いた芸を、真剣に見るというのは、ある意味で礼儀でしょう。その礼儀をほとんど弁(わきま)えない客ばかりの中で、音に聞こえた狒狒爺(ひひじじい)である伊藤博文が、彼女たちに礼を尽くしたということは、皮肉ではありますが、また素晴らしいことです。
 下積みの人々に対する敬意を伊藤が抱き続けてきた証左でしょう。

           第二章 先達の器量に学ぶ
             伊藤博文の周到 より

わたしはよさこいなどの場で
踊ってきましたが
自分で踊るのは懸命になりますが、
人の踊りを見るのは
なかなかできないことです。
ついつい
ほかの用事をしたり
理由をつけては
ほかのチームの踊りを見ようとしません。
ひどいものです。
ですので
この話を読んで、
伊藤博文がもてるのもわかるなと思いました。

女遊びは
今の政治家に難しいジャンルになっています。
マスコミにすっかり去勢されています。
女遊びができるのは
歌舞伎界ぐらいかしら。

昔の器量人の話を読むと
いいことも悪いことも幅広くやっています。
ちょっと何かあると
すぐにたたかれてしまう
今の世の流れでは
器量人を望む方がどだい無理
とつくづく思います。

もうひとつ
渋沢栄一の逸話から。

 ある議員が、(原敬への)面会に訪れると、たくさんの人が待っている。自分は議員だからと順番を飛び越して入ろうとすると、列の後ろの方に、ちょこなんと渋沢栄一が座っている。
 本当だったら、渋沢は原にとっても大先輩なのですから、大手を振って入っていけそうなものですが、それを決してしない。


こういうところに実業家としての枠に収まらない、
人間としての高貴さが出ていると
福田さんは書いています。

器量人として
田中角栄の話もおもしろく読みましたが
それはまた今度。

書き込みありがとうございました

2010年08月17日
15日が日曜日で
16、17日は仕事は休みだったが
お客さんがあるわけでなく
ただの休みだった。

昔は
お盆はたいがい15,16,17日と
決まっていたが
今は世の中的にも
あまりそんな感じがない。

娘が行ってしまって
ぼーっとしていて
うつ病の引き金は
こういう喪失感の後なんかに
来たりするかもしれないよね
などと
ちょっと思ったりしたが、

ブログを読んだ友人が
「人間の器量」「即答するバカ」
の2冊を読みたいと言ってくれた。

ちょっと気持ちが上を向く。

そして
今日はいっぱい書き込みをしていただいて
うれしかった。

「ひとりじゃない」って思えて。

明日から仕事です。

がんばろう。

今は昔

2010年08月17日
今日
タンスの引き出しを片づけていたら
奥から
折り畳んだ
布きれの固まりが出てきた。

広げてみると




数年前
城華(踊りのチーム)の衣装をどうしようかと
自分たちで布から染めて
手作り感を出したらどうだろうかと

家でタマネギ(茶色い方)と
ウコン(黄色い方)で染めてみたのだ。

ミョウバンも使って色止めしたり。

結局
できが不十分で
採用には至らなかったが

あのころは
いろんなことをやっていた。
これは踊りに使えるか、使えないか
何を見てもそう思っている
時期があったなあ。


ところが今は
リーダーを替わってもらったら
富山から先生がお見えになる
大事な練習の日でも
娘の方を優先して
練習をさぼってしまう。

全く力が入っていない。

すみません。

私は力が入っていませんが
ほかのみなさんのがんばりで
ことしも
城華らしい仕上がりになってきました。

今年は
林道美由紀ちゃんの
「コキリコ」で
踊ります。

美由紀ちゃんは歌がうまいので
何回聞いても飽きない。
練習していても楽しい。

今年は
城華の活動は
いろいろな都合があって
縮小となった。

演舞する予定は
今のところ
じゃんとこいむぎやだけ。

みなさん
よかったら見に来てくださいね。

せこい

2010年08月18日
最近は
ちょっとしたことでも
家の電話、イエデンにかかってこずに
直接携帯にかかってくることが多い。

仕事でもなく
半ボラ(ンティア)的なことを
全く事務的なことを
携帯で連絡を取り合う。

私から連絡する番、
相手の方の携帯に連絡する。

1回2回…5回、
お出にならない。

おや、お出になれない環境だろうか。

6回目のコール、

お出にならない。

ここで切ってしまえば
痕跡だけ残して
後は向こうからかけてもらえばいい、
ということは
電話料金は向こう持ちになる。

その方がうれぴーかも、
でももう少し待った方が、
短い時間に両方の気持ちが
川と海の境目の
真水と海水のように
入り混じる。


7回目のコール、
そして、
留守番電話に切り替わる。
あわてて
電話を切る。

そのあわてぶりが
電話を切った後
「何やってるんだわたし」感となって
おそってきた。

しかしブログネタにしようと
また喜んでいる。

バカブログ。




仕事頭と勉強頭

2010年08月18日
いのさんのブログに出てくる
マキちゃんと
私のブログに出てくる
マキちゃんは同一人物で

マキちゃんに勧められて
ずっと読んでいる
がんばれ社長

というメルマガがあります。
毎日
何かしら心に残るメルマガが届きます。


今日は
株式会社東伸の社長さんのお話

日本一
社員研修費をかけているという会社

今は素晴らしい業績の会社ですが
昔は思うように業績が伸びないことがあった
そこで
社長の藤吉繁子氏は
自ら勉強頭から仕事頭へ切り換えようと
意識改革に取り組む。

部下にも
浴びるように研修の機会を与え
意識改革を行い
業績をあげていく。
詳しい内容についてはメルマガをご覧くださいね。

最後に

「勉強頭」と「仕事頭」の違いは?

の問いに

掃除と素直さでしょう。素直さというのは人の言うことを何でも聞くのではなくて、現実をありのまま受け入れること」


との答えに
二つとも全く出来ていない
はれあたまは
深く頭を垂れたのでした。

いつまでもあると思うな親と金

2010年08月19日
先日「仕事学のすすめ」という番組で
作詞家の秋元康が

インタビューの最後に
若い人に言っておきたいことは何ですか
と尋ねられて

いつも言っているんですが
と前置きした後で

「親と過ごした方がいい
 親と話した方がいい 」

ということを言いたいと言われた。

秋元さん自身
仕事が忙しい盛りの時期に
父上をガンで亡くされている。
父親から何気なく誘われた時も
仕事の忙しさにかまけて
断ってしまったことを
後悔なさっていた。

びいすけの母さんさんも
先日
お父様のことについて
書いていらして
しみじみ読ませていただきましたが。


親は
ずっと
生きているような気がする。


困った時に助けてくれて
病気の時も心配かけて

どんなときにも
親だけは見方になってくれる。

親は
ずっとずっと
そうやっていてくれるような気がする。

でも
親は
子供の私たちより
先に死んでいくのだ。

94歳の祖母が亡くなったとき
父は72歳だった。

その父が喪主の挨拶のときに
母を失って
みなしごになったような気がすると
言った。

ぼけて寝たきりだった
ばあちゃんが死んだだけなのに。

子どもにとって
いくつになっても
親は親。

長くなって
何が言いたいのか
分からなくなってきましたが

親は
いつかはいなくなるのだと
50をまわって気が付いたはれあたまも
折があれば
今なら聞ける話もあるんじゃないかと
そういう体制です。

キーボードカバー

2010年08月19日
暑い

こんな日は
冷たく冷やした
たこ楽の冷たい焼き、
フルーツたいやきを
家族みんなで食べましょう。




何回食べても
「けんかしてない」ミスマッチ感が
たまりません。

フルーツたい焼きは
家族愛を育むアイテムです。

話は変わって
事務所のパソコンを変えることになりました。

暗証番号が忘れ去られていたり、
ソフトが否応なく
バージョンアップすることになって
いつもながら
結構大変です。

キーボードも
替わりました。

大きさが以前のと微妙に違って
キーボードカバーも取り替えることになりました。

このカバーが
粗相の多いわたしから
キーボードを守ってくれました。

はじめて老眼鏡をかけて
パソコンに向かったとき

キーボードカバーの
キイとキイの間にゴミが
はっきりと見えて
びっくりしました。
(老眼鏡で自分の顔を見たときも
 びっくりしましたけどね。
 こっちの方がショックは大きかったですけどね。)

これが新しいキーボードカバー





そしてこれが
今まで使っていたキーボードカバー




リターンキーとか
BSキー、スペースキー、
A、U、I、O母音系辺りが
白くなっていて
叩いてきたキーがよくわかります。

隣で仕事をしているまほろばちゃんは
このカバーの感触が好きでないとのことで
カバーを使っていませんが
わたしはこのねっちりした
吸い付くような触り心地が大好きです。

とにかく
記念写真も撮ったので
さきほど
ゴミ箱に入れました。
長い間ありがとう。

プチ後悔

2010年08月20日
今日
車で福井まで行って来た。
仕事先に書類を届けに行ったのだが
久しぶりだったもので
その事務所が見つからない。

ぐるぐる心当たりのところを
徘徊していたら
外で車を洗っていらっしゃる
五十代の男性と思しき方が目に入ったので
事務所の名前を言って
場所をおたずねしたら
丁寧に教えてくださった。

そこは一方通行だったので
その事務所の駐車場を通らせてもらって
元の道に戻り
大回りせずにすんだ。

言われたとおりに行ってみると
すぐに事務所は見つかって
書類をおいてきた。
帰り道、
もう一度
道を教わったそこを通った。

親切な五十代の男性は
洗車を終わって
ホースをぐるぐると
水道の蛇口のところにかけていらした。

あ、車から降りて
おかげですぐわかりました、
ありがとうございました、
って
お礼を言えばいいなと
思ったのだが

「このクソ暑いのに車を降りるの?」
「15mは離れてるよ」
「あれぐらい別に降りて言わなくても」

とそれこそ
もう一人のわたしが顔を出しているうちに
車はそこを通りすぎてしまい
そのまま
帰ってきてしまった。

この暑さが悪いのだ!
と、暑さのせいにしておきますが

ちゃんとお礼を言ってきたら
今頃
その小さな思い出で
もっと
繰り返しほほえむことが出来たかもしれないのに。
わたしも、五十代の男性も。

死ぬときに
走馬灯のように思い出すだろう自分の人生って
そういう小さな心のふれあいみたいな
部分が結構
大事なポイントだと思うんだよね。

だから今日は
心の貯金をし損ねた日。

田んぼの水

2010年08月20日
田んぼの苗が植わったあと
母はほぼ毎日
田んぼへ行く。

なぜかというと
母がうちの田んぼの
水管理をやっているからだ。

用水路から
田んぼにつながる水路があって
そこの入り口に板を張ったり
詰め物をしたりして
田んぼへの水を調節する。

これはね
しょっちゅう
田んぼを気にしてないといけないから
マメで責任感のある人に
どうしてもなっちゃうのね。

それが
うちの場合は
母親なのね。

でも母親もだいぶいい年になってきたので
できたら
水管理役を
ゆずりたいと
内々に思っているのは
ずっと感じていたんだけどね、
知らん顔してきたのよね。

それで
今晩
夕飯を食べ終わった時に
母親が
「田んぼのみなくちの板を
 はずしてきてほっすいがやれど」

というので
行ってきました。

用水路を
板を張って田んぼに水が流れるようにしてある。
お天気の割に水量は豊富。




板を外して




田んぼに水が入らないようになった。

これはフラッシュをたいているからで
たかないと




こんな感じで真っ暗




自動車の明かりに
稲穂がうつる。




今日はお月様もきれい。



鶏レバー

2010年08月21日
小学校に入学したとき
わたしは

15キロだった。

文部省の資料を見ると
今の5才児の女子の平均体重が18.6キロ

だから
かなりやせていた。

健康診断に連れて行くのが
恥ずかしかったと
母は私がいる目の前で
何回も言っている。

やせていて色が黒くて
髪はひどい天然パーマ、
眼だけがギョロギョロしている子、

飢餓を訴えるボスターに写っている子を
イメージしていただければ
近いのではないかと思う。

そんな私だったが
中学校に入って
身長が伸びだした。

食欲モリモリ。

そんな食卓によく登場したのが
鶏レバーだった。

そう豊かでない家計を回すため
母はよくレバー料理を作った。

昔話になったとき
母が
中学校に入ってからの
私の食欲のすごさを語って
(ごはん2杯3杯は当たり前だった、
 この時の食べ量が今も尾を引く)


「鶏のレバーに大きしてもろたようなもんやちゃ」

と言ったことがあって
とても心に残っている。

私の第二の母は

鶏レバーです。


でも理屈で考えても
レバーは
栄養価が高く

肉食動物がほかの動物を射止めたとき
最初に食べるのがレバーだと
聞いたことがある。

だから
本来もっと高くてもいいのに
内臓関係が安いのは
福音です。

利用しない手はない。

夏バテ防止に
もっとレバーを食べましょう。

わたしは
油をひいて
しょうがのざく切りを入れます。

少し炒めてから
レバーを入れて
砂糖と醤油ちょっとと味噌、少しの水を入れて
火が通るまで
煮ます。

レバーはコクがある。

もう絶対一番おいしい部位。

レバーを食べよう!





送るのをやめたメール

2010年08月21日
娘は今サークルの合宿中

長野の菅平とか言ってたかな

競技ダンス部なので
ダンスといえども体育系
とにかくきついらしい
これから合宿と思うだけで
憂鬱な顔になっていた。

17日から始まって
明日の22日まで練習
あと今晩と明日の練習のみになった。

あともう少しだね
がんばってね

とメールを書いたのだが
や、
メールと言えども
ここで親が顔を出すのはどうだろう、
と思って
結局やめた。

東京に帰った頃を見計らって
メールを送ろう。


私が中学校の時
部活に
たとえ試合にしても
親が見に来るなんて
思いもしなかったし
来なかった。

部活は顧問の先生以外は
(顧問の先生も試合の前に顔を出されただけだった)
子供だけの世界だった。

私は
部活の価値は
そこにあったように思う。

たぶん今も
子供の世界というのは
ちゃんと守られているのだろうが
ある部分は親の応援も
当たり前になっていて

昔は親と部活というのは
離れた島のような関係だったのが
今は隣り合わせで
部活にぴたっと
親領域が張り付いている感じ。

どちらにしても
いいところと悪いところがあるので
一概にはいえないけれど

ご苦労様です。

とにかく

娘は大変かもしれないけど
私がメールを送っても
うざがられるだけの気がしたので
あさってまで待ちます。

もう
ネタ切れで
何でも拾って書いてます。

熊谷はイナカなのか?

2010年08月22日
城華で
いつも踊りを教えてくれている
ユキさんは
実家が「くまがや」という遠いところだ。

どっかあの辺の遠いとこ
っていうのは知ってたんだけど
この間から
「熱いぜ熊谷!」
みたいな文字の入ったTシャツ
(黒字に白で太めの字が書かれていて
 力強い!)を
ユキさんが着てて
ああ
熊谷というところの人だったのか
と改めてわかったのだ。

なぜ
「ああ」なのかというと

娘が
サークルの中の会話で
どうも「熊谷」は
田舎の代表として
バカにされる扱いを受けている
町らしいと
言っていたのを聞いたことがるのだ。

ユキさんがみんなに
実家のお土産をくれた。




これは
ガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」
と言って
大人気のお菓子だ。
なぜそんなことを知っているかというと
この前東京土産を買おうと
京王デパ地下に行ったときに
ものすごい数の行列ができていたのが
このガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」
だったからだ。

「これ、熊谷のお菓子なの?」

ユキさんに聞いたら

「これは群馬のお菓子」

「熊谷は群馬なが?」

ユキさんは軽くぶつ真似をして

「熊谷は埼玉!すぐとなりが群馬だけど」

熊谷が「群馬」と思われることは
心外らしい。
熊谷は「埼玉」県なのだ!

砺波市の東石黒の人が
南砺市ですかと言われて
いいえ砺波市です!

と言っている感じなのだろうか。

「熊谷は田舎なの?」

ユキさんに聞こうと思ったが
なんとなく聞けないままに終わった。

またお土産欲しいし。


どこにも田舎扱いはあるのだ。
そう思ってたけど
東京圏では
クマガヤはそうらしい。

ユキさんには言わないけど。

水木しげると戦争

2010年08月22日
両親の同居で
ますますおもしろくなってきた
ゲゲゲの女房

終戦記念日に合わせてか
先週は戦友が
茂を訪問してくるという話で
水木しげるが
「総員玉砕せよ!」の執筆への意欲を
固めるところで終わっていた。

水木しげるは妖怪漫画家
だと思っていた。

でもこの朝ドラを通じて
水木しげるが
戦争について
たくさんの作品を
書いているのが分かった。

さっき本棚を片づけていて
ぐうぜん目についたのが
この本




この中の著者の一人
「若桑みどり」に
興味があってネットで検索したら
古本で安く出ていたので
買った本だ。

タイトルの意味もよくわからず買ったのだが
「戦争論 妄想論」

「戦争論」とは
小林よしのりの「戦争論」のことだった。

つまり小林よしのりの戦争論は
妄想論であるとの立場で作られた本だった。

ゴーマニズム宣言は何巻か持っていたし
おもしろかった。
でも途中で、従軍慰安婦あたりかな、
違和感があってそれから
冷めていったように思う。

さて
この本を改めてよく見ると
著書に水木しげるの名前がある。




「カランコロン漂流記」という
短編があって
その中のいわゆる「ネーム」と
言われるところを抜粋してみよう。


 とにかく「大和民族」というのは勇ましい遺伝子を持っているので、「戦争論」とか「NOといえる日本」といった本がよく売れるようだ。
「大和民族」は勇ましいと……。
なんとなくキモチがいいんだ。
「戦争論」で……。
戦争が終わって長い間の時間を経て戦前の勇ましいフンイキを味わわせてもらって……。
とても楽しかった。

その頃日本軍は強いと言われていた。私はその秘密は「ビンタ」にあると長年思っていた。
毎日初年兵をなんの理由もなくなぐるのだ。
それが野戦に行って明日死ぬかもしれないという時でも、日本軍の趣味である…「ビンタ」はおさまらない。




私は常々残酷の極みと思っていた。
毎日殴られる生活をしていれば、なんとなくザンコクなことをしたくなる。

しかし日本軍の発明した内部いじめの「ビンタ」……
わたしはよけいに殴られたせいか
もう軍隊がいやになり、
日本陸軍、ひいては日本までいやになってしまった。

戦後日本は対外的にも「ペコペコ国」になってしまったが……
ビンタぎらいの私は
「それでいいのだ!」といいたい。
(絵の中で水木しげるが机をこぶしでドンとたたいている)

勇ましさのためにどんな目に遭うのか…
と思ってしまう。
と思うと年のせいか
「それでいいのだ。」と思ってしまう。
「ビンタ恐怖症」というやつだろうか?

ビンタのない国、(南洋の島の絵になる)
素朴な人間たちの国が、
私は
戦争中から大好きだった。
終戦の時
「お前日本に帰ったらいかん!ここに住め!
 家もやるぞーっ!畠もつくってやる!美人も…」
(と言ってくれる)
そういういい人たちだった。

その人たちは勇ましくなかったが、
”幸福そう”だった。

私は「戦争論」でふとあの戦前の勇ましさを思い出し、非常になつかしかったが、
なんだか、
輸送船に乗せられる
ような気持になったのは「ビンタ恐怖症」のせいだろう。「戦争論」の売れ行きが気になる。



と締められています。

この中の著者の一人でもある沢田竜夫により「水木しげると戦争」というまとめが書かれています。


 自伝「寝ぼけ人生」によれば兵隊時代に他人より多く殴られたのは「地方人(軍隊用語で軍人以外の人。軍人になりきれずしゃばっ気が抜けていないことを侮蔑していう)」のままだということなのだが、現地の人々にとっては裸でつき合えた例外的な兵隊だった。
 水木氏の作品がジャンルを問わず、どこかほのぼのとした印象があるのは、こうした体験と性格からくる独特な人間観のためであろう。それだけに、悲惨な玉砕や特攻を描いた作品では、より哀しみ、むなしさ、憤怒がにじみでる。それらは、小林よしのり「戦争論」からは見えてこないものだ。それは、体験の有無だけでなく、さまざまなかたちで死を強制された人々に向けられた眼差しと姿勢の違いである。




「総員玉砕せよ!」(講談社)
「劇画ヒットラー」(実業之日本社)
「水木しげるの昭和史」(講談社)
「娘に語るお父さんの戦記」(社会批評社)

機会があれば
読んでみたいものです。
 


安い98円

2010年08月23日
粉もん屋さんを直撃しているという
この暑さ

今日だって
いじめのような
暑さだった。

午後2時
宅配のおにいさん
真っ赤に火照(ほて)った顔で
荷物を持ってきてくれた。

渡された紙にサインをして…
髪を渡して
「ちょっと待ってください!」

コーヒーを持ってきて
手渡す。

そうすると

そうすると

すっごい喜んでもらえるのだ

ええっ!
いいんですか?

みたいな感じで…。

今年は猛暑なのでよけいにそうなのだろう。

この前お渡ししたら
とても喜んでもらえたので

味をしめて
今日は3回目

今日も
「いいんですか?」モードで
喜んでくださり
ムフフな気持ちに
させてもらったんだった。

絶対にお得だ。

喜んでもらえる量>98円

まちがいない。

お得な98円








忘れないで

2010年08月23日
一緒に活動していた仲間の一人が

50代半ばで
春にすい臓がんと診断された。

わたしは住む場所も離れていて
特に親しい間柄ではなかったので

6月にそのことを
同じグループの仲間から聞いた。

2度目に聞いたときは
開腹手術をしてみたら
患部を取り切るのは
難しいということで
放射線治療に切り替わったとの
ことだった。
手術の直後はショックを受けていた様子だったが
今は気持ちを切り替えて
抗がん剤治療をがんばろうと
前向きになってきた
とのことだった。

お見舞いにいちど
顔を出したいなと思っていたけれど
重篤な時に
顔を出せるほど
親しくはなく、
かける言葉など持っていない。

でも
いつか
いつか
と思いながら

今日
友人と一緒に
7月の末に退院された自宅に
お見舞いに行ってきた。

あれこれ話をしながら

「こういうことがあると
 夫婦仲っていうのは
 劇的に変化したりするもんですか?」

と尋ねてみたら

「特に変わらないわよ。
 向こうはとにかく
 びっくりしてるだけね。
 今まで私が病気になるなんて
 思ってもみなかったと思うよ。
 自分が先に病気になって看取ってもらって
 のつもりが
 わたしがこんなことになっちゃって。
 びっくりしてるだけよ。」


そうか。
私がそうなっても
うちのひともそうかもしれない。
あまり多くを期待してはいけないのだ。

週に一度抗がん剤治療に通い
体の不調は続く。

「つらいのは
 先が見えないってこと。
 ここまで行けばっていう
 そこが見えない。
 だからがんばりようがないのよ。」

一緒に行った友人が
もう少し具合がよくなったら
何か始めてみたら?
とか誘いの言葉をかけるが
出かけるとか、
始めるとか、
そういった言葉はまだ重く響くようだ。

帰り際

「でもこうやってきてもらうと
 気が紛れる。
 よかったら
 時々顔を見せてね。」

と言ってくださった。

自分が再び今までいた世界に
戻っていけなくなるかもしれない、
ずっと
静かな生活のまま
終わっていくのかもしれない

それはやっぱり
恐怖感に近いものだろう。

でも自分はここにいる
私のことを忘れないで


私のことを忘れないで

そんな声が聞こえてくる気がした。

忘れませんとも。

また来ますからね。

そう思いながら玄関を出た。

へびはへび

2010年08月24日
まったくもう
いつまで続くこの暑さ

天気予報だとあと2週間は続くとか

パインさんのところに
なかなかこれだけいっぱいは
書けないぞ
というぐらいの
イミフ文字が並んでいて
雨乞いの真剣さに感動したが、
(マハリク、マハリタあたりに
 少し年代が出ている)

ほんと、いい加減にしろよ、

と空にケンカを売りたくなる。

ところが
夜になると

どこかでコオロギが鳴き出す。

こんな暑いのに
なんで鳴けるんだよ、

とコオロギに絡みたくなるぐらいだが

コオロギの声を聞くと
なぜか
物悲しい気持ちになる。

今年はとりあえず
遅くとも秋は来るみたいだ。
今後
毎年来てくれるのだろうか。
日本は亜熱帯になっていくのでは
と今年は真剣に怖くなった。

怖いと言えば
今日の昼
遅めの昼食を終えて
台所を出ようとしたら
同じ部屋に
ひも状のものが
動いている。


見たことのある動き

「うえあぎゃーっ!」

普段使っている音域より
1オクターブぐらい高いところの
声が出てくる。

ヘビ専用音域と言っていいかもしれない。

とくに室内ではあまり見たくない。

そう大きいヘビでなく

それに
私よりヘビの方が

オレはどうしてこんなところにいるんだ?
と命がけで逃げ場を探しているようで
網戸を開けたら(母が)
一目散に逃げて行った。

よく見れば
かわいい顔をしている。
つぶらな目をしている。

でも瞬間
ヘビを見たときの怖さは
なかなか克服できない。

もちろん
写真を撮るゆとりもなかった。

こういう時に
写真を撮ってこそ
ブロガー。

道はまだまだ遠い。


今日の一品

2010年08月25日
暑さに負けず
ピカピカのナス





でも料理はなすと関係ないのよ。


木綿豆腐に

明太子とマヨネーズを和えたのを
上に乗せます。

レンジでチンした後、
グリル機能で7分焼きました。




刻んだネギ、ミョウガ、シソを少し乗せて。

以前
人に教わったのをアレンジして。

お豆腐は
1個のほうが様になるかもしれないけど
2個入るのが家庭料理。

でも
食べてみたら
少し物足りない。

木綿豆腐を先に焼いた方が
もっとおいしいと思いました。


この季節
夫の弁当のおにぎりに
ミョウガとシソを
少量細かく刻んでいれます。

なぜなら
いっぱいあって
もったいないから。

夫は特に何も言わないので
いいんじゃないでしょうか。

今日の雨で
アオジソも少し寿命を延ばしました。

パインさんありがとう。

シマウマ日本

2010年08月25日
吉祥天さんが
書いていらっしゃいましたが
溺れる子供を
助けに行けない親

うまいなあ

痛いなあ

泳げなくても
深い場所でも
とにかく助けに向かうっていう
なりふり構わなさが
全くない。

この間からの
見るに堪えない
代表選のごたごたに続いて

今度の株安円高への
対応の鈍さ
というか
読売新聞を読むと
すぐにできるような
有効な手立てというのは
ないみたいだ。

でもだからこそ
すべてを置いても
これにかかりきりです
というような
ポーズを見られているわけで

今のひよわな
いじめられっこのような
菅総理に
そんなお芝居は望めそうもない。

どうして
みんなああなっちゃうんだろう。

「総理」という役職が務まらない国ニッポン

応仁の乱の後のような
定まることのない
第2戦国時代に入っているのかな。

ひと雨の力

2010年08月26日
わたしは
フルーツたい焼き普及委員会
のメンバーなので
今日の夜の寄合に
フルーツたい焼きを
持っていこうと思った。

夕方
フルたいを買いに行く。

小学校1年生ぐらいの女の子が
たい焼きが焼けるのを待っている。

お店の人と話す。

「それにしても暑い日が続きますねえ」

と例によって天気の話題を振ると

「でもひと雨降ったでしょ。
 この雨で3倍は違うんですよ。」

ひえー、
天気っていうのは
そんなに大きく
影響してるのか。

そういえば
女の子が
たい焼きを待っている図が
絵になっていた。

今日の涼しさはうれしい。

10個余りを買い求めたが

「こんなにたくさん
 漬物にでもするんですか?」

とお店の人に言われて

「ちょっと会合があるもんで」

と普通の答え方しかできなかった。

「ええ、古(フル)漬けとか
 いいかもしれないですね」

ぐらいは言えるようにならないと。

まだまだ道は遠い。

麦屋まつりポスター

2010年08月27日
今年の麦屋祭りのポスターは
True Tearzのキャラクター

つまり
アニメポスターだ。




最初見たとき
やっぱり子供っぽい気がした。
ちょっと残念が入った。

去年までは
切り絵の雰囲気がある絵だった。


フンイキ

そう

フンイキがない。

そして
そんな風に思うものだから
女の子の髪が
みんな今風のぼさぼさなのも気になる。

お祭りのときは
ショートの子以外は
みんなきれいに
髪をあげているのに。

なんていうか
清潔感がいまいち。

お祭りより
アニメの主人公のキャラクターの方が
大事にされているのだろうか。

それもわかるけど。

この子たちの住民登録がされていて
住民票とポスターと
セットでの需要が
かなりあるとか。

でも
野村さんの蔵は
丁寧に書き込んであって
びっくりします。

私は古い人間なのだと
思った一瞬でした。

自分で行動する人

2010年08月27日
ブログに
たびたび登場してくる
マキちゃんから
電話があり

署名してほしいことがあるので
行ってもいいですか、

ということなので

どうぞどうぞ

と返事をして

マキちゃんがやってくる。

この前6月に紹介した
きいちゃんの浴衣

を書かれた
山元加津子先生のメルマガを
マキちゃんは読んでいて

そこに
体が不自由な人が使うことの出来るパソコンが
製造中止になろうとしていて
いや、それは困ります、
作り続けるようにしてください

とお願いする署名を集めるお願いがあって
山元加津子さんブログ8/25

それで署名用紙をダウンロードして
署名をお願いしますって
来てくれたわけね。

その話を聞いていて
まほろばちゃんが

「マキちゃんえらいわあ」

と感心した調子で言う。

そうだよね。
えらいよね。
誰に言われたわけでもないのに
自分で決めて
動ける人。

3人いて
一人はほめた人
一人はほめられた人

わたしは
ほめることを気づかず
ほめられることもなく
そういうポジションで
少し寂しかったが

ふつう
なかなかここまでしないことを
やっているマキちゃんは
えらいよね。

まほろばちゃんのいうとおり。

もう一人
えらいと思っているのは
これも何回か
ブログに出てきているが

パーキンソン病友の会の
事務局をつとめている
ユウジンの
キジマさん。

今年総会で城華が踊らせてもらった関係で
会の通信を送ってもらった。

普通通信と言えば
A3二つ折りで4ページぐらいのものだが
これは
24ページもあって
広告も取ってある
本格的な冊子だ。

これだけの冊子を作る
世話をするのはどれだけ大変か。
お母さんがこの病気で
すでにお亡くなりになってからも
事務局をずっと続けている。

通信の中に
キジマさんの記事で
国会に署名を持って請願に行ったことも
書かれている。

えらい。

自分で考えて動く人たち。


さわやかな遺書

2010年08月28日
さっきPAワークスのことを書きましたが

クリエイター

なかでもアニメ監督というのは
もっとも命を削る職種の一つと
言ってもいいと思うのだけれど

さっき
さとなおさんの
ブログを見たら

アニメ監督
今敏氏の遺書
が紹介してあった。


長い遺書だ。


でもおもしろくて。

自分を客観的に見つめて
ユーモアの感覚も
失われていない。

ずんずん読み進める。


でも
どうしても
涙が
ボロッと
こぼれざるを得ないところがあった。

たぶん
皆さん同じだと思うが。

みな
終っていかねばならない。

読み終わって
本当に

さわやかな
遺書。

レイトン教授

2010年08月28日
JAなんと合併10周年企画で
PAワークスさんのご協力で
この前じょうはな座であったのと同じ
「レイトン教授と永遠の歌姫」
原画いろぬりアニメ体験と映画上映
という企画があって
ご縁があって
のぞかせていただきました。

PAワークスの
おにいさん、おねえさんが
たくさん来てくださっていて

南砺市で

この世代の若者の固まりを見ると

ありがたくて
拝みたくなります。

とにかくそのように
ことは着々と進み
上映会へ。

上映というと
場内は暗くなります。
土曜の午後は
一週間の疲れと眠気が
おそってくる時間帯。

暗くなるのを
待ってましたとばかりに
眠気に猛然と襲われました。
すみません。

後半45分はしっかり見ました。
悪者との
アニメならではの
恐ろしく高いところ、しかも柵なし
のとこでの戦いが続いて
どきどきしました。

それにしても
主人公のレイトン教授の
顔はひかえめで
うすくちうすあじしょうゆ顔です。

でも
こんな大がかりな作品が
城端で作られていると思うと
うれしい。

やはり感動したのは

最後のエンドロールで

「制作 PAワークス」

と大きい文字で出て
堀川さんと菊池さんのお名前が出たところでしたね。

テーブルには
グループ分けの目印が。




「さすが
 アニメ会社の玉ねぎの絵ですよねー」

と知り合いのJAの人に話したら

「これはこっちで準備したんです」

とのことで
全部ありがたがって見ていた自分が
ちょっと笑えました。

子供も80人ぐらい?
たくさんいて、
保護者の方もいて
係の人もたくさんいて
これはやっぱり
「アニメ」というジャンルだから
できることなのかなと思いました。

PAワークス
すごいな。
地元にあるっていいよね。



あきらめないあの人この人

2010年08月29日
きのう
イトカワへいってきた
ハヤブサの特集をNHKでやっていた。

断言しよう。

ドラマ「ハヤブサ」が絶対できる。

JAXAっていうの?
宇宙開発機構のハヤブサの係の
リーダーの川口さんの
「あきらめない」ぶり、
その提案の仕方の素敵なこと、
何度もこれはもう絶対だめだという
危機を迎えながら
それが
チームとしての団結を高めていく、
奇跡のドラマだ。

また部下の技術者の方たちに
作り物のドラマかと見紛(みまご)うような
イケメン系がいらっしゃって

ぐいぐい引き込まれた。
(やっぱりこの筋)

昨日のドキュメンタリーを見ていたら
最後には
ハヤブサが
命ある生き物としか思えなくなっていく。

大気圏突入により
美しい火花を散らし
消滅していって
役割を終えたハヤブサ。

感動のドラマだった。

何回も言うけど
絶対ドラマか映画になるからね。


「あきらめない」と言えば
きのう城下の練習だったんだけど
パレードの隊形で
少し問題があったのだが
今日の練習では
その問題が改善され
きのうとは
踊る向きや隊列が変わった。

今日また練習ということで
リーダーの3人は
昨日の練習が終わった後、
つまり夜の9時半なんだけど、
それから夜中の1時ごろまで相談して
決めたらしい。

そのおかげで
今日の練習では
みんな迷うことなく
動くことができる。

正調には正調の良さがあるが
「じゃんとこいむぎや」は創作なので
毎年
曲、踊り、衣装、
迷いながら
試行錯誤を重ねながら
汗が積み重なっている良さがある。

あきらめないで
良いものを作り上げようという気持ち

それはやはり見てくださる方に
伝わっていくことだと思う。

そして
「あきらめない」というのは
今のすぐ今から始まることであり、
本能の「欲」をコントロールすることでしか
達成できない。

だっからむずかしいんだよねえ。


いつも思います。




生まれ変わっても一緒に

2010年08月29日
今日は24時間テレビで
病気や難病、障害とたたかった話が
ちょくちょくテレビから流れ

徳光さんが泣いている。

さっきも
ガンと闘いながら
看護師を続けた
美しい女性の話があった。

残された
年若いご主人が
生まれ変わってもまた一緒になろう

と、遺影に呼びかけておられた。

「生まれ変わっても一緒になろう」

は夫婦の自己評価として
トリプルAと言っていいだろう。

わたしはどうだろうか。

少しギクッとする。

そうでもいいし
そうでなくてもそれはそれでみたいな。

ただそこまで思える夫婦というのは
なかなかいないのではないか

いや、

吉祥天さんのところはもちろん
そうだろうし、
ほそみちさん、
いのさん、
パインさん、
ぴいすけの母さん、
草ピーさん、
PRIMAさん、

みんな来世も一緒の
ハイクラスグループのような気がする。

まあ、
これからもあるんだし
やっぱり
どっちか先に行くときには
そう思えるように
なりたいですね。

ちなみに
この暑い日に
夫は稲刈りです。
ご苦労様です。




夏休みあと1日

2010年08月30日
今日
町の真ん中にある銀行に行って出てきたら
交差点のはす向かいの本屋さんから
中学生(体操服だったからわかった)
の男の子が一人出てきた。

B紙?模造紙っていうの?
あの大きな紙を丸めた筒をもっていて
バトンのように
くるくる両手でまわしながら
道を歩いていく。
その紙筒バトンを回す様子が
とても軽やかなのだが

あれは
自由研究を表にするために
使う紙じゃないんだろうか
と推測もできる。
というか
そう考える方がむしろ自然だ。
あと1.5日しかないのに
大丈夫なのだろうか。

時間ないがに
そんなことしとっていいがけ!


男の子の母親になったような
気持ちになる。

どうまとめていいか
収拾がつかない自由研究、

何を書いていいかわからない
空いたままの
夏休みノートのページ、

面倒で残してあった
いつでもできると思っていた
今となっては
時間が足かせとなっている
繰り返し調課題。

そういったことが
一気に襲ってくる
この2,3日。

私自身も
親の立場の時も
仕上がりはぎりぎりで
この時期は苦しさがよみがえる。


脳天気そうな男の子の様子は
悲壮感がなく
好感が持てた。

人生の荒波を
いつもこのように
バトントワリングしながら
潜り抜けていくのかもしれない。

今日明日の二日間
がんばってくれたまえ。

健闘を祈る。

なんでこんなに暑いんだ

2010年08月30日
娘が1泊2日の予定で
今朝帰ってきて

平の
渓流荘に
父母とむすめとまほろばちゃんと向かう。

暑い。

しかし
トンネルを抜け
平への下り坂を下がっていくと
一面の
ススキ。

こんな暑いのに
どうして
ススキが穂を出すのか。

もう少し気温を下げてくれないと
出ないもんね
とストライキをしてもいいくらいなのに

素直にすくすくと伸びた
ススキが勢いをつけている。

冷房の入った車の中から見ていると
すっかり秋の景色だが
これが一歩外に出ると
暑いんだよねー。

しかし
渓流荘は涼やかで
冷たく冷えた
かけそばは絶品である。

ゆきんこさんが
キャンセルがあったとのことで
おまけをつけてくださって
よけいに美味しい目に遭って
帰ってきたのだった。

ありがとうございました。

私はこのように
涼しい思いをしたのだが

うちの仕事は
外の山仕事で
暑さがいちばんの敵と言ってもいいかもしれない。

特に
月曜日は
体力を奪われ
ヘロヘロになって
戻っていらっしゃる。

冷房のないところで働く人は
皆同じだと思いますが
神が試しているのだろうか
としか思えないこの暑さ。

とにかく
早く
一段落してほしいです。

頼むわー。

トロイカ体制って?

2010年08月31日
昨日きて
今日帰っていく娘が


テレビニュースを見ていて

「トロイカって何?」

と父、娘にしてみれば
おじいちゃんに聞いている。

横で聞いていて

そうそう
私も思ってたんだ。

「トロイカ体制って何?」

トロイカは聞いたことある。
トロとイカではなく

「雪ーのしらかばなーみきー、
 夕日ーがしずむー、
 はしーれトロイカ
 ほがらかに
 すーずの音高くー」

というあのトロイカだと思うのだが

体制がつくと
また意味不明で
「トロイカ体制」って何なんだろう、
ニュースは常識のように
何の説明もなく続いていくけど、

と思っていたのだった。

父の言うことには

「昔 ロシアの馬車いうたら
 3頭立てで走ったもんながじゃ、
 さいさかい、
 3人でひっぱっていくいうがを
 トロイカいうがじゃ」


へえー、そうだったのか。
菅、鳩山、小沢の3人でトロイカね。


「3つとも
カイショ(甲斐性)のある馬ならよけれど、
カイショもなけりゃ
腹もばらばらのもんが3人おっても何になりっ」

と父は言ってました。

今日も民主党代表選が
ニューストップですが

円高、国内の諸事情をさんざんやって
そのあと3分ほどで
流せばいいのに

大騒ぎして
報道する方もする方です。




自分の子供が大人になる

2010年08月31日
さっき
高岡駅まで娘を送ってきました。

これで何回目になるんだろう。

高岡駅での見送り。

2年目になって
さびしさが増すのはなぜだろう。

もうすぐ
二十歳になる娘。

今は東京で一人暮らしで
こっちは
経済的に彼女を支え
帰ってくれば
おいしいものを食べさせたい
ゆっくりと休ませてやりたい



彼女の笑顔にツラれて
の私たちの行動であり
こっちからすると
ギブアンドテイクじゃなく
ギブアンドギブの関係。

娘君。
君は甘やかされているのだ。

「こっちへ帰ってきた方がいいんでしょう?」

と言われても
そう簡単に
「帰ってきて」
とか言えない。


帰ってきたかったら
帰ってきてもいいけど
かといって
責任とれるわけでもない。

自分の責任で
自分の仕事を選んでほしい。

自分のやりたいと思う仕事を
見つけてほしい。

生き生きと働いてほしい。

「戻ってくる」が一義より
やりたいことをやってくれる方が
うれしいよね。

でも
それがなかなか見つからないのは
親の育て方が
いたらなかったせいでしょう。


親の至らなかった分
道を教えてくださる方と
どこかで素敵な出会いをし
自分の道を歩んでくれるといいなと
今回はそんな話をしました。 
作者 : はれあたま

 かなり生きてきて、でも、生きてきた中で今が一番楽しい気がしています。ブログに参加することでもっと楽しくなればいいなと思ってます。

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