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はれあたまダイアリー

いつも楽しく読ませていただいてきました。ちょっと自分でもやってみようかと思いました。

二十集念

2011年12月01日
9月始めに
プリマさんとこであった
美有紀ちゃんのコンサートに
zephyr さんがお仕事でいらしていた。

「万華鏡に関わるなんて
 すごいことですよ!!」

と最低2回はおっしゃってくださった。

風間さんはすごい人なんだと
zephyrさんから教わった。
崇拝していらっしゃる様子が伝わった。

「万華鏡」
二十年も月一のペースで
発行を続けるなんて
「念」がないと
できないことだ。
いろんな力が集まって合わさって
できた奇跡だと思う。

風間さんは
数号前の取材で膝を痛められて
不自由もお有りのようだけど

「でも(取材に)取り上げたいのが
 まだまだいっぱいあるんですよー」

とおっしゃる。

ほそみちさんも
風間さんも
「きらきら」に見える。
楽しそうに見える。



父が亡くなって
人が死んで
残るものは何だろうと考える。

「集めたものはがらくたになり 
     与えたものだけが残る」

と何かに書いてあったけど
確かにそれもそうかもしれない。
ものは困ることもあるけど
もらったものもらった言葉は
じゃまにならない。

それに
思い出すのは
「笑顔」だ。
楽しそうにしていた父。
笑っていた父。
熱中していた父。

「楽しんで生きること」が
大事かもしれないと
今はそんな気がしている。
遊んで暮らすっていうのじゃなくて
今を楽しいと思って暮らすこと。

楽しいことを見つけて
生き生きしていらっしゃる
おじさん三人の中に
まぜてもらって
そのことに
感謝するばかりだ。









煮ても焼いても食えます

2011年12月01日
買い物をしていたら
いのさんを見かけたので

「いやー、きのうの煮魚の話、
 よかったですよー」

と言ったら

「煮魚じゃなくて焼き魚」

とおっしゃった。
ああ、そうだったか。
親子の雰囲気のいい食事場面を
頭に絵に描いていて
その絵が煮魚になってしまっていた。

「煮魚にするんだったら
 ボクの釣ってきた
 メバルにかぎります」

メバルメバル…
あの赤い目のかわいい魚だったか。
確かにあの白身の煮魚は
脂ものっていておいしいと思う。

サンマは多分
毎日でも飽きないかもしれないぐらい
おいしいが
ホントに毎日して
うちの人がもういやだ
と言ったら困るので
三日に一回ぐらいにしている。

今日はタラの煮つけにした。
この間はカワハギ。
その前はフグ。
サバは味噌。

白身の魚だと
魚が煮立つ直前に
ほうれん草の茹でて切ったのを
さっと煮て
いっしょに食べる。
魚のダシが沁みておいしいです。

おとうちゃん、
お母ちゃんも私も
モリモリいっぱい食べてます。
いつも見てるかもしれないけど
一応連絡しておきます。

「家の光」の家計簿

2011年12月02日
JA女性部の月一の会合では

JAの雑誌「家の光」から
自分の好きな記事を選んで
みんなに紹介するっていうのを
当番を決めて
やっていらっしゃる。

今日は女性部長ササダさんの番で
家の光家計簿利用感想文
を取り上げられた。

母と同じ世代ぐらいの方で
子どもができず肩身の狭い思いをし
義母が自分と娘には甘く
嫁には厳しいことに耐え
農業委員や町会議員で出歩く夫に代わり
農業で家計を支え

だから
日本にたくさんいるお母さんを代表するような
共感を覚える文章が載っていた。

ササダさんのお母さんも
この家の光の家計簿を
ずっと愛用されていたとのこと。
休まれる前に
台所のテーブルに座って
書いておられた様子を思い出す
と言われた。
時にはこれが夫婦の会話の
元となり
毎日の日課となって欠かせない習慣だった。

病のため入院されてからも
病室に持参され
見舞いの品や金額など書いておられたとのこと。
ある日
病気になって残念なことや
娘さんであるササダさんの
シアワセを願っていると書き付けた
家計簿をちぎった
一枚の手紙を受け取る。

お母さんが亡くなってからも
ササダさんは
この手紙をいつも
持っていらっしゃるとのこと。

お金の出し入れは
生活のすべてを表しているし
他のことも書き入れれば
人生そのものがそこにあるような
本当に大切なノートになる。

うちの母も
家の光の家計簿を愛用しています。




親心

2011年12月03日
万華鏡の次号の取材で
滑川博物館に行ってきた。

小高い田んぼの真ん中に
どーんとあった。
美術館とかはあるけど
「博物館」はあまり聞かないよね。

今は「滑川の絵馬展」
というのをやっていて
その絵馬を見に行ってきたのだ。

神社のやしろのたかにかけてある
絵。
たとえば




とか




絵は
川中島の合戦だったり
源平の合戦だったり

上に 「奉納」
の文字が入っていて
はげかかって下の板が見えていたり

ご覧になったことあるでしょう?

で、動物では
「馬」が圧倒的に多い。

で、
印象的だった馬の絵馬を。




息子さんが南方の戦地で
お亡くなりになって
その息子さんの三十三回忌に
お母様が奉納されたもの。

馬の後ろに椰子の木が描かれていて
南方がよくわかる。

馬は一頭でなく
二頭だ。

あの世で
かわいいつれ合いを見つけて
楽しんでいてほしい

という母上の願い。






昭和27年にすでに南砺市構想はあった

2011年12月03日
「南砺市」という名前は
今はすっかり落ち着いて
「なんとすてきな」
のようにいい具合に
副詞にも使えるし
「ほっとあっとなんと」みたいに
語呂合わせのいい言葉もできたり
親しみやすくいってますけど

当初は
南砺市だけはいやだ
とか
「砺波の南」で砺波が主体のようで
とか
様々な声が聞かれました。

先日
へちまださんに
お目にかかったとき

昭和27年に
すでに南砺市構想があったがいぞ
しかもあの
松村謙三先生がそう言うとったがいぞ

と教えていただき
へえー!
じゃあ、南砺市でよかったがですねー、
値のある名前ながですねー、

と言い合った。

松村先生ありがとう。

へちまださん、教えてくださってありがとう。

後日
その根拠となった
城端時報のコピーをいただきましたので
ここに掲載させていただきます。

昔の地方新聞の記事って
ホントにおもしろいですねー。
わくわくしますよ。

町の顔
産業経済委員長
山田伊作氏
 
 時の大政治家たり希有の雄弁家でもあった彼の永井柳太郎張りの名調子で、かつての青年党華やかなりし頃の○土に山田、本井の両氏があった。二人ともドッシリした体躯と相変わらぬ雄弁とを以て松村陣営の双璧たる事今以て変わりはないが、就中(なかんづく)山田伊作氏は県購連の専務として六十万農村の興亡を双肩にして中央地方に馳駆しての寸暇ない活躍振り、だが然し貴郎の信条はと聞くと尊徳先生の三惚れ主義だという、凡(およ)そ此(この)人程一寸見た感じと話して見る感じの違う人というものはそうあるものではない。皮相の感じを其儘(そのまま)筆にすれば駿馬に鞭打つ荒武者となるが膝つき合わせてよく話して居ると何時しか女性的なやさしささへ現れて県購連と村農協と扨(さて)は新城端の三児を抱えて慈母の愛に泣く常盤御前にさへ見えてくるが、妻に惚れ、郷土に惚れて職業に惚れるという尊徳の三惚れ主義に徹して今も山村大鋸屋の一農民として幾代忍苦の百姓魂に活くる彼なればこそ、戦後の出鱈目で二億の大穴をあけた県購連を一手に引き受けて其実直さと強靱さを高く買われて居る今日でもある。筆者が彼を青木昆陽に目立てたゆえん、敢えて彼を食糧増産の神とするに非ず、彼氏の言う二宮尊徳でもピタリと来ない、然し経済的にひっぱくする新城端の為に何等か大きく割策するであろう彼の今後に期する処あっての意である事を諒されたい。今は昔、普通選挙渇望に湧く青年の声に推されて只一と筋に飛び込んだ政治運動であったが、民主政治の根幹とされる政党活動もその本元に入ってみると、哀れや地方へ流れてくるものは其一番粕の政争ばかり、為に円満なるべき地方の自治体が、疵でもないことを揉み合って只でさへ苦しい貧村を更に目茶苦茶にして仕舞うのは独り大鋸屋ばかりの事ではないが、極度に疲れ果てた村勢は当然産業組合の経営面にも歴然と現れてくる。二十八才の弱冠山田がその後を背負わされた。昭和十八年には時の中島村長に請われて助役ともなったが当然政党人たる可き彼の其問に於ける只一の目標は村を政争から救ふという事であり今も彼は尚町や村の政争化は何より地方を荒らす元であるといふ。終戦と共に中島村長の後を受けての代理村長、○○伏木の浜へ敵兵が上陸と、僅かな配給米を握り飯として五ヶ山へ逃げ様とする人達にあの大鋸屋の道にスックリ立って心配するな俺が身にかへても馬鹿な真似はさせない逃げるな逃げるなと胸を敲いた事もあった。深草の少将まがひに百夜も通ふて通ぜぬ恋、今は高岡にある若き日の城端某楼の阿嬌に二十数年後の今日になって心が通じて清らかな交際を続けるといふ彼らしい恋、扨(さ)て最後に昆陽先生の持つ、さつまいも、いや夢ですよと彼はいふ。松村、河合の両大先輩と中央で屡々(しばしば)会合を重ねて○する処あるは、井波福光城端に上平の五地区を合せての第南砺市の実現と見たはうそか


      −城端時報 第80号−
        昭和27年11月20日 号


イモを持った山田伊作さんのイラストもイケてます。

 

「酒は百薬の長」のあとに

2011年12月04日
先日
ある方と
会合の日にちを決めていたのですが

その方は
6日連続で忘年会やと
おっしゃっていました。

肝臓君がんばれ
と心の中で
その方の肝臓を応援しました。

そのあとに書くのも何なのですが

「酒は百薬の長」

なのは一日一合までであって
それ以上の場合は

「酒は万病のもと」

とあり
体によいという百の
百倍病気の元になるという
戒めの言葉とのことです。

「酒は百薬の長 酒は万病のもと」

でワンセットってことで。

いやいや
これは誰あらぬ
私のための言葉でありました。
自戒したいところです。

体をこわす要因として

1、酒
2、たばこ
3、暴飲暴食

これで全体の20%ぐらい

残りの80%は何か。

 そして4つ目の要因として「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を挙げました。例えばいくら「健康食品」を食べていても、家庭内でケンカが絶えないことや、「あれは体に毒だ」「これも体に悪い」と否定的なことを言っていることの方が、体を壊す影響が強い。その健康食品はプラスには働いてくれないでしょう。つまり、自分の体に入ってくるものに対して、批判的な言葉を加えれば加えるほど、体の中で毒になるということです。
 そして防腐剤や着色料が入っていても、「私の体の一部になってくれてありがとう。栄養になってくださってありがとう」と手を合わせ、何でも笑顔でバリバリ食べている人は、意外に元気なのです。

「究極の損得勘定」小林正観 宝来社 

結局ダメじゃん

2011年12月05日
めがねを二つ持っている。

最初作って
ほんのしばらくして
どこかに置き忘れて
探しても探してもないので
二つ目を作ったのだ。

二つ目を作ったとき
ちょっとだけ
老眼が進んでいるとのことで、
ほとんど度数は変わりませんけどね、
と言われて
二つ目のめがねができた。

二つ目を作って
わりにすぐに
一つ目めがねが見つかった。

それで一つ目めがねは
夜寝るとき本を読む用に
枕元に置いてあったのだが
そういう低い場所なもので
踏んづけてしまうということが
重なり
一度目は
フレームをかえないとダメということで
すぐ直るかと思っていただけに
意外な出費がショックだった。

2度目に踏んづけたときは
なんとか顔にかかったので
見にくいがそのまま我慢して使ってきたが
最近
ずり落ち加減に我慢ができなくなり
やっぱりフレームを変えようと
めがね屋さんに持っていった。

最初フレームを変えることで
話が進んでいたのだが
直りませんかね、と
ねじを締め直してもらったら
それだけでOKで
ずり落ちることなく
かたがることなく
お金もかからず
顔にちゃんとかかって
ラッキー!

と喜んで帰ってきた。

今日は
せっかくだから
その直った方のメガネを使おうと
仕事中に使ってみる。

何だか

目が疲れる。

二つ目のメガネと
ほとんど度数が変わらないとのことだったが
何かやっぱり違う。

わたしの目は明らかに
遠視が進んだようだ。
(老眼とは言わない)

こういうのを
ぬか喜び
というのかもしれない。

最初のメガネ君
さようなら。


でもネタにはなる。

ブログってステキ。

遠視も進んでますが紅葉も進んでます。

せどのドウダンツツジが
まっ赤ちんちんです。




赤い葉を見ても
目は休まらないかしらね。
心が安まるからいいですね。

親ならこそ

2011年12月06日
おとといの夜
寝るのが遅くなって
きのうの朝
チョー寝坊した。

あわてて
台所に走っていくと
母が朝ご飯の支度というか
うちの人にすでに
食べさせてくれていて

で、
「寝坊した、かんにん」
と言ったら
「どうかあるがか思て心配した」
と母が言った。

怒らずに体の心配をしてくれて
さすが親だと
ありがたく思った。

父が亡くなって
お母さんががっくり来ないように
適度に心配をさせてあげた方がいいよ
と言ってくださる方もあって
そうだなと思ったが
寝坊はちょっと
気をつけようと思いました。
他のタイプのお世話になろうと思います。

お葬式が大変なことだとわかったので
もうしばらくやりたくないので
お母ちゃんがんばってね
とこの間もお願いしました。

あと20年は頑張ってほしいです。
私もうちのひともがんばります。



お誕生日

2011年12月06日
フェイスブックは
友達の誕生日が近づくと
もうすぐ誰々さんの誕生日ですと
メールが来て
それはとてもいいしくみだと思っていました。

でも
あまりまめに
チェックしていなかったので
おめでとうを言いたかった人の
誕生日が過ぎちゃってて
あちゃー、
ということが何度もあって

今回
初めて
ベオさんのお誕生日コメントは
間に合いました。
なんと書いたかは秘密です。

ベオさんとはPTAからの
おつきあいですが
とても前向きで
ナイスな方です。

これからも
よろしくお願いします。

話は変わりますが
この間から
ご縁があって呉東方面によく行きます。

雪をいただいた
アルプスが
めっちゃかっこいい。

うっとりほれぼれ
これは黒部のYKKの近所から




オヤモト

2011年12月07日
JA女性理事研修会で
東京に来ました。

氷見の女性理事の方と
高岡からご一緒しました。

JAの女性理事の方は素敵な方が多いのですが
その方も
みんなが働ける場所づくりのために
地域の産直販売所を
農家レストランにして
仲間で経営していらっしゃるとのことでした。

地域のお年寄りにも
食べてほしいとのことで
定食の値段は
550円に押さえて
いるとのことでした。

レストランの名前は

「親元」

だそうです。

みんながもどれる場所
という意味を込めて
のことだそうです。

島尾の駅前にあるとのことで
今度食べに行きます
とお話ししました。

楽しみです。

いろいろお話をするうち
悲しい思い出をお持ちのことも
教えてくださいました。

がんばっているかたは
このように
つらい思い出をバネに
前に進んでいらっしゃる方が
すくなくありません。

つらいのは
わたしだけでないし
あなただけでもない、
みんな何かを抱えながら
生きている
それを改めて
教えてもらいました。

これは
電車の中で食べたお弁当




ふたを開けると
こんなんでした


豆苗炒め

2011年12月09日

今まで娘のパソコンは
留守番しているとき、
使い放題だったのだけど
最近ゼミとかで
持って出かけて
パソコンがなくて
ブログが書けなかった。

で帰ってきたかと思うと
あ、忘れとった、
と言って
パソコンを開いて
授業を聞き出した。
今時はパソコンで授業を聞いて
パソコンでレポートを出して
そういうことらしい。

あ、あと4分だ。

今日の夕飯は
近所の中華料理屋さん

「西都」

学生街のお店なので
安くておいしい。

いつも頼むのが
豆苗の炒めと
エビマヨ








豆苗は
あじつけは塩だけで
ニンニクと油と
そして塩加減が絶妙

いつもおいしい。

これがテーブル




また今度東京に来た時も
来ますね。








歯間ブラシ

2011年12月09日
娘のアパートの
お風呂は
めっちゃかわいいお風呂。

「かわいい」というのは
装飾ではなくて
「小さい」という意味です。

で行けるときは
近所の銭湯に行きます。

ここは昔からの町並みが残っていて
このお風呂屋さんも
昔からある感じのお風呂屋さんです。

これは入り口の写真です。




ボケボケで残念ですが
黄色い看板は
「ランドリー 金泉湯」
と書いてあります。

きのう9時過ぎに行ったら
空いていて
私より少し年上の方が
二人入っておられました。

私が入って上がるまでの間に
お二人とも
歯を磨いておられました。

一人の方は
私が出る頃に歯を磨いておいでて
私が風呂を上がって
着替えているときに
歯間ブラシを使っていらっしゃいました。

着替えているところから
よく見えました。

歯ブラシの時は
そうでもないのですが
歯間ブラシを使うときは
なぜか
けっこうすごい顔になります。

くちびるがいがんで
目を閉じて
しかめっ面になっているのです。
そういう顔で
歯間ブラシを使っていらっしゃいました。

歯ブラシの時は目が開いていたのに
なぜか目を閉じて
顔が歪んでいるのです。

帰って
寝るとき
歯を磨いて歯間ブラシを使うときに
意識してみると
わたしもそういう顔、

歪んで
目を閉じて
眉間にしわが入った顔をしている
ことに気付きました。

だから
歯間ブラシを使うときは
周りに人が居たときは
目を開けてかわいくするように
気をつけようと思いました。


まわる寿司屋

2011年12月09日
東京にいて
娘は用事があって
9時ごろの待ち合わせだったりすると
それまで
まちのなかをうろうろする。

夕方に
おなかがすいた。

回るお寿司屋さんに
入りたいと思ったが
はじめてのところは
ちょっと入れず

アパート近くの駅の
娘と行ったことのある
回り寿司屋さんの前を通ったら
一人で食べている
若い女の人がいたので
入りました。

しばらくしたら
となりにも 
わかいおねえちゃんがおいでて
少し機嫌が悪そうで
クレームをつけておいでたりして
東京っぽくてよかったです。

今はボタンで
なんでもオーダーできますが
なるべく流れてくるのを
食べることにしました。

でも最後は
かっぱ巻きをボタンで頼みました。

かっぱ巻きは
きゅうりとわさびと海苔と
海苔の香りが生きて
すばらしい組み合わせですね。

それで
4皿食べて
730円でした。

東京にいると
何ものでもない自分になったようで
わくわくします。

楽しい時間を
過ごさせてもらいました。

隣同士

2011年12月10日
あの
この間から
少し気になっているのが

ログインして
管理ページまで来るとき

「管理ページへ」

のすぐ下に

「ブログ削除」

があることです。

それを押すと
一瞬にして
ブログが全部消えちゃうんでしょうか?

もしそうなら
まちがえて押したらどうしようと
心配になってきました。

今までも
そういうことが
よくあったからです。

すぐそばに
ブラックホールが口を開いているような、
そういう怖さを感じていますが
大丈夫なんでしょうか?

どなたか
「ブログ削除」ボタンを
押した経験のある方は
いらっしゃいませんでしょうか?

っていう
質問です。
よろしくお願いします。

余計なこと

2011年12月10日
娘のところに行って

娘は授業に出ていく

残った私は
何か作っていこうかどうしようか
迷う。

きのうの夜
カレーか何か
作っていこうか?
と聞いたときには

明日飲み会だし いい(要らない)
と言っていた。
でやめとこうと
思っていたのだが
やっぱり作ることにした。

というのも
父のことを思いだしたからだ。

父の思い出されることというと
「余計なこと」ばかりだ。
心配性の父は
何かあるとすぐ電話してきて
うざかった。

「大丈夫大丈夫、
 心配せんでいいちゃ」

何回そう言ったことだろう。

娘が東京へいったあとも
何かあるとすぐ大丈夫かと
心配して大騒ぎした。

「ちょうどのこと」より
「余計なこと」が
思い出されるのはなぜだろう。

そっちの方が
懐かしいのはなぜだろう。

だからわたしも
余計なこともしておこう。

食べなかったら
食べなかったでいいや、

と思って
カレーを作って
部屋を出た。

お昼に外でご飯を食べて別れたけど
カレーを作っといたよ
と言ったら
苦笑いをして
ありがとうと言っていた。

あんまり遠慮しないで
余計なことも楽しもうって
そう思ったわけです。

日本人でよかった

2011年12月11日
スケート男子の
世界の何とかという大会が開かれていて
テレビでやってました。

お母ちゃんがテレビ番組を
よくつかんでいて
NHKのニュースが終わったと同時に
チャンネルを変えてくれて
ちょうど
高橋大輔選手の演技が始まるところでした。

スケートっていうより
舞踊、あるいはお芝居のよう。
あの曲はブルースっていう
ジャンルなんでしょうか、
超大人っぽい世界、
あんな目つき、
あんなしぐさ、
もう
もう
もう。

日本にこんな選手が出てくるなんて
思ってませんでした。
こんな演技ができる人が出てくる
日本人でほんとに
うれしくてシアワセだと思いました。

解説のなんとかさんも
同じようにそう言ってらっしゃいました。

それに続く
羽生さんも
ほっそりして手足が長くて
アニメから出てきた
少年のよう。
これなら
カナダの女の子のハート鷲掴みのはずだ!

もう
もう
もう!

日本は
芸術性で
世界を魅了できる裾野が
思ったより
広がっているのかもしれませんよ。
とにかく
すばらしい!
これからが楽しみです!

いただいたっけ?

2011年12月12日
肘の診察に
8月からだから
整形外科に4ヶ月ぶりに行った。

誰かいい精神科医を知らないか、
とこの間ある方に尋ねられた時
精神科医じゃないけど
整形外科の三浦先生の顔が浮かんだ。

穏やかで優しくて
お顔を拝見すると
元気の出てくる三浦先生に
お目にかかってくるかな
みたいな感じで行きました。

診療室前で
順番を待つ。

しばらくして
隣に座られた高齢のご婦人は
同じ在所のご婦人だ。
軽く目であいさつして
考えてみる。
えーっと、ご香典をいただいた
方かしら、
そうでないかしら、
どっちだっけ?
頭の中の香典帳をめくってみるが
よくわかんない。
いただいてもいないのに
ありがとうございました
などというと
余計に失礼になるし
だから
だまって
そうっとお話しせず
本を読んでいた。

帰ってきて
お母ちゃんに確認したら
やっぱりいただいてないということで
よかったです。

お母ちゃんは
さすがに在所には強いです。

この間からこのように
冷や冷やしたことが何度かあります。
香典帳をちゃんと見ておかんなんな
と思いながら
なかなか見ません。

診察の順番がくると
マイクで名前が呼ばれます。
診察が終わって出てくると
見知らぬ方から
お父さんが亡くなって
お寂しいですね
と声をかけられました。
名前が呼ばれてわかったとのことでした。

やっぱりまだまだ
いろんなことが
四十九日内モードです。

淋しいし悲しいけど
食欲はある。

体にいい悲しみ
というのは変かもしれませんが
そんな感じ。

今日も一日が終わっていきます。

喪中ハガキの返事をいただく

2011年12月13日
喪中ハガキを出させていただいたら
喪中見舞い、お香典も
何通かいただいた。

ありがとうございます。

その中で
一般的な2パターンをご紹介しましょう。



 このたびは 年賀欠礼のお便りをいただきまして
恐れ入ります
 大切な方がお亡くなりに ご家族様にはさぞお力落しのこととお察し申し上げます。 ご冥福をお祈りいたします
 くれぐれも御身を大切に どうか穏やかな新春を迎えられますよう 心からお祈り申し上げます

       平成○○年○○月


 
 拝啓、寒さの厳しい中 寒中お見舞い申し上げます。
 この度のご不幸を存じ上げず失礼いたしました。この度のご逝去に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
 どうぞご家族ご一同ご自愛のうえお過ごしください。



喪中ハガキの返事ハガキは
6年前のばあちゃんの時には
なかったことで
今回初めて
頂戴しました。

ていねいなお葉書に
痛み入っております。
ほんとに
ていねいな方は
とことんていねいな時代ですね。

痛み入る
痛いと言えば
明日歯医者だった。
痛くて行く訳じゃないけど
歯医者と言えば
痛い
痛いと言えば
歯医者

この二つは離れないですね。


感じのいい人

2011年12月13日
以前に一度書きましたが
ちきりんさんのブログ
紹介されていて

「体制維新−大阪都」橋下徹 堺屋太一 文芸新書




最初の総論と対談が最初と終わりにあって
そこに堺屋さんがちょっとでてくるだけの
サンドイッチのパン状態で
中身の具は全部橋下さんの大阪都構想
でした。
くりかえしくりかえし
やっぱ熱意は伝わってきますよ。

これからの大都市に求められるものは何か。
ひとつの顔は世界の都市間競争に打ち勝つための
「強い広域自治体」
そうしてもう一つは
よりきめ細かい住民サービスをおこなう
「やさしい基礎自治体」

ということだそうです。

やさしい基礎自治体の長
たくさんいらっしゃいますが
強い広域自治体の長になれる人は
なかなかいないでしょう。

政党を作って
着々と事を進める
行動力とか

この本だって
選挙に合わせて出された本ですが
言葉がわかりやすくて
読みやすいし

とにかく
橋下さんが
希有な人であるのは
まちがいありません。

この本はどれだけ
大阪都構想が理にかなっているか
繰り返し書いてあるのですが
この本を読んでいて
思い出したのは
正観さんの

「人は正論で動くのではない」

という
その言葉でした。

人は「正論」では動かない、
では何で動くのか。
「好感」を持ったら動く、
歌がうまくても芝居がうまくても
好感を持たれなければ売れない、
好感を持たれたら
歌が下手でも芝居がヘタでも
売れるのだ
ということ

橋下さんは
「感じがいい」というか
本を読んでいても
その熱意や懸命さに
好感が持てましたね。
読む前は強引さが目立っているような
気がしてましたけど
読むと
やっぱり好感が持てましたね。

浮かれていない
当選の後のインタビューもさすがでした。

っていうことで
橋下さんのようにはいかないけれど
それぞれ
自分の持ち味を活かして
「感じのいい人」
になりたいですね。

墓の掃除

2011年12月14日
もうすぐ
ここに来るんだよ
父ちゃん

桑山とか福光の辺りまで
よく見えるよ




傍らで
アザミが元気に




四十九日が年始になって
親戚の都合もあり
十日以上早くなって
十二月二十四になった。

おら
そんなはよらと
こんなさぶいとこきたないじゃ。
おまえらちゃ
あんまりでもないかい。

とか言いそうだけど
かんにんやちゃ。

墓場のゴミを片づける
おかあちゃん。




ひとつ片づいて
ほっとしてます。


さすがの演技

2011年12月15日
砺波養護学校のチャレンジタイムに
おじゃましているのであるが
今年は
ホッとあっとなんと体操と
(喜ばれてます、いいですねこの体操)

マルモリをやっていて

楽しかったのだが

マルモリも旬を過ぎ

ここらで違うのをかましたいと思い

AKB48の曲をやることにした。
かましたいという割には
新しい曲は全然わからないので
とにかく知ってるフレーズのある曲
ということで

あの

アイニージュー
アイラービュー
アイウオンチュー

(順番はこれでいいかな?)

ってマイクにまたがるあの曲をやろうとおもって

そういえば
サラリーマンNEOで
宮崎美子が踊ってた気がする。
宮崎美子は50を過ぎてるし
簡単な振りに直してなかったかな、
それだと踊りやすいし
と思ってHDDに残っていた
ビデオを見てみると

なんと
ほとんど元のままのを
踊っててさすがプロだとびっくりした。

プロと言えば
NEOの
麻生祐未の元気のない夫を
どうにかしたい妻と
それに応える宮崎美子の水着売り場店員の
芝居はおもしろかったなあ。

あれ、シリーズ化してほしいなあ。

麻生祐未といえば
「カーネーション」のぼやっとした
お母ちゃん役が絶品だ。

カーネーションと言えば
ヤケドしたお父ちゃん役の
小林薫、うまいなあ。

ヤケドで2階で寝ていて
階下の会話を聞いている表情、
いろんな思いが混ざり合っているのが
わかるのだ。
すごいなあ。

そういえば
糸子さんのだんなさん役の
駿河太郎さんて
鶴瓶さんの息子さんなんですってね。

雰囲気ありますよね。

最近髪結い屋の
おばちゃんが出てこなくて淋しいですけど
明日は泰造さんが出征、
辛い時代です。

何を書こうとしてたんだが
わかんなくなっちゃいました。

こんな日もあるさということで。

ごはんよい します。

どこからが間違いなのか

2011年12月16日
例えば
福島の原発事故
どこから悪かったのか

津波か
電源の位置か
原子力発電所を作ったことか
原子力が生まれたことか
ウランが発見されたことか


例えば
オウム真理教の事件

教祖を信じて事件を起こした人が悪いか
教祖が悪いか
教祖に障害があったことか
親が悪いのか
時代が悪かったのか

何が悪いかと聞かれれば
「全部」ということになるし
そうでないと言われればそうだし

いい悪いの線引きは
なかなかむずかしいと
いつも思います。


 地球上の出来事は、すべて宇宙の承認のもとに起きています。私たちから見て“悲惨”な事件やテロや戦争なども、意味がなく起きていることは何ひとつありません。
 もし殺人事件の犯人に対して、死刑になるべきだと憎しみを持ったとしたならば、その社会や人に恨みを持っていた犯人と、犯人が死刑になればいいと望む「私」の気持ちとの、どこに違いがあるのでしょうか。どんなことがあっても自分は憎しみを持ったり憎しみで人を殺したりしないぞ、と決意させるために宇宙はその事件を見せているのです。
 何十万人が死ぬような大津波や大地震があったとき、仮に100万の人が「こんな悲惨なことが起きて、ひどいじゃないか。神は本当にいるのか」と思ったとしたら、宇宙は恨み言の塊になる。その反対に、自分の身にいつ何が起きてもおかしくないのに、何も起きずに平穏に過ごすことができた、ありがたい、と感謝することができたら、100万人の感謝が宇宙に投げかけられたことになります。
「私の中から憎む心をなくしてください」と願うのはいい。しかし、戦いや争いのない日々を実現してくださいと言ったら、人類は滅亡するかもしれません。自分の小さな正義と宇宙の意志とは決して同じではない。目の前のことを評価評論せず、平穏無事に生きられることに感謝し、できる範囲のことをしていきましょうと宇宙は言っているのです。

 「宇宙を解説 百言葉」 小林正観 弘園社



野田さんが悪いのか
菅さんが悪いのか
鳩山さんが悪いのか
民主党が悪いのか
民主党に政権をとられたような
自民党が悪いのか
人を選んだ選挙民に責任があるのか

政治も
どこから悪いのか考えると
むずかしくなります。

だから
評論評価を止めて
自分のできることを淡々とやりましょう
という正観さんの見方は
私を
とても楽にしてくれるのです。

芝浜

2011年12月16日
きのうのクローズアップ現代は
先日亡くなった
立川談志さんについての話だった。

毎年最後の噺は
「芝浜」に決まっていて
その談志さんの
何回かの芝浜がテレビに映っていた。

「芝浜」というのは
大ネタで
うまい人がやるネタ
のようです。

わたしは
しかし
何回見ても
この話に入っていけない。

アル中の夫が当たりクジを拾う。
妻はそれを夢だという。
がっかりした夫は酒を止めて
働いていわゆる真人間になる。
3年が経って
あのクジはホントだったのよ。
ごめんなさいね、うそついて
と妻が夫にコクるところが
山なのだが

どうしてそんなに謝るのか。
謝る必要などない、
と思ってしまう。

談志さんの噺の中の妻は

「ウソついてたけど捨てないでね。
 だって好きなんだもん」

とまで言う。
「捨てないでね」なんて
夫だって名マネージャーの妻を
失いたいはずはないだろうし
そんなことわかってていう妻は
いやらしかないか。

というような感じで
この夫婦の会話がどうもしっくりこない。

その上
最後に
「お前さん飲みなよ、飲んじゃいなよ」

アルコール依存を再発させるような
発言があって
また家庭崩壊してしまうのでは
とはらはらするのだが

「やめとこ、また夢になる」

とそれは回避されて
少し安堵してこの話は終わる。

という
やはり時代背景を十分理解していないので
このような見方しかできない
という一例でありました。

夫婦の枠

2011年12月17日
しばらく前に映画になった

「星守る犬」原田マハ 原作 村上たかし 双葉社






「星守る犬」はマンガが
映画化されて
この話に感動した
原田マハさんが
たっての希望ということで
小説化されたのだと
あとがきに書いてあった。

この映画の宣伝のテレビ番組を
やっていたのを
ちらっと見たことがあって

犬と西田敏行扮するお父さんが
旅をする番組で
お父さんと別れるお母さんの役を
岸本加世子がやっていて

離婚するときに
その岸本加世子奥さんのせりふを
たまたま聞いて
ちょっと心に引っかかっていた。

そのセリフは
本にそのまま書いてあった。
夫に離婚してくれと
頼む妻のセリフだ。

「一緒にいたくないほど、
嫌いになったわけじゃないのよ。
ただ、……
持病をかかえて
職を失ったあなたを
支えていくほどの強い想いが……ないの」


まだ嫌いだと言われた方が
ましな気がする。

子どもが大きくなるぐらいの
年月を重ねた夫婦で
そんな強い想いで
結び合っている夫婦が
何組あるのだろうか。

でも世間体とか
3日飼えば犬でも捨てられない
というくらいに
生き物はそう簡単に
捨てられないように思う。

まして
ヒトで
夫で
父親で

そんな簡単にはいかんだろう

と思うのだが

恐ろしいことに
このセリフは
そんな不自然なひびきがなく
岸本加世子もサラッと言っていた。

自然に無理のない感じで聞こえてきた。


きのうの
私を捨てないでねの
「芝浜」の世界も
ちょっとわからないけど

この妻のセリフは
私からの距離は
芝浜より
まだ向こうに
芝浜以上に遠いところにあります。

と、いうことにしておきましょう。

あなたは?

あなたは?



計画的ストック

2011年12月18日
雪が降りました。

みぞれが降ってきたときの
おとといの柿の木




今年は実がいっぱいつきました。
枝が実の重みでたわんでいます。


これが今日の柿の木です。




木のてっぺん近くのところの
実が少なくなっているのが
おわかりでしょうか。

雪が降ると
カラスが一斉にやってきて
柿の実を食べ出します。

すごいと思うのは
雪が降るまで
あまり手をつけないことです。

雪が降ってから食べ出すのです。
その時用に取ってあって
カラスたちみんなが
規則を守っているのです。

これから
あっという間に
柿の実は減っていきます。

しかも皮は食べません。




内側をぎりぎりまで食べて
皮は残されています。

カラスは目ざとくて
室内からでも
カメラを向けると
一斉に飛び立ちます。
カメラはこわいもののようです。

用心深くて賢くて
みんなで決まりを守って
カラスは
すごいです。

漫才の稼ぎは親に

2011年12月18日
カーネーションのおばあちゃん役の
好演が光る庄司照江さん、
昼のNHKのトーク番組を録画して
この間見た。

私が小さい頃
かしまし娘は人気があって
テレビでよく見た。

いっぱい稼いでいらしたと思うけど
その稼ぎをみんな
父親に渡していた
とおっしゃっていた。

昔はそういう時代だったということ。

きのう母と買い物に行って
車の中でその事を話したら

母も嫁に来て
最初の頃は
工場からの給料は
みんなばあちゃんに渡していたという。
(今から50〜60年前)

いくらか忘れたけど
給料を渡して
ばあちゃんから渡されるお金は
ひと月500円
(もらう方の金額は母が覚えていた)
それで一ヶ月の食費をまかなう。
油揚げか魚
一日に両方いっぺんに二つというのは
買えなかったという。

そういう暮らしだったけれど
父は出稼ぎに行っていて
母に来る手紙の中に
こっそりとお金をしのばせておいてくれた。

そのお金がうれっしてうれっして

といって使うわけでなく
貯めていたらしいのだが

それでも
自分のお金があるのと
ないのでは違う。

村から何人も出稼ぎに行っていたけど
中には家のことを顧みず
稼いだお金を博打で使ってしまう人
もいたらしい。

そういう点
父は筆まめだったし母を気遣った。
父のポイント高い思い出として
残っているようで
ときどき私に話してくれる。

数年後に
ばあちゃんが病気をして
母はばあちゃんに給料を渡さないことになった。

そういう風に
少しずつ少しずつ
自分の陣地を広げてきた
母だけど
これもこの間
母が風呂へ行った帰りの車の中で言ってたんですが

「おらがこの家来たときにおいでた人
 みんなおいでんようになってしもた」

ということで

長い月日が経った

ということでしょうかね。

書類は基本「全捨て」

2011年12月19日
先日テレビを見ていたら
とってもかわいい
おじょうさんが出ていらした。

それがなんと
超優秀なお片づけの先生だった。

お片づけの指導をしてくださるのだが
捨てる、捨てないの基準は

「ときめくか、ときめかないか」

おおお、
なんとステキな基準だろう。

外に行くときには着られないけど
家にいるときには着られる
Tシャツとかズボンとか
思い切れそう。
っていうか
残る服が何枚あるかな。


何に使うかわからないコードは全捨て

おお、コードはもちろん、かぎとか、
金具とか捨てられなかったので
そうなのね。

書類は基本全捨て

「全捨て」って
気持ちいい言葉ですね。
大好きになりました。

「捨てる」っていう言葉を使わずに
今までありがとう、と、ものに感謝を言う。


おおお、「感謝」を盛り込むなど
スキがない!

ずっとこんまり先生を
崇めてみていました。


それで
わたしは
いつやろう。
それが問題なのだ。

北野公民館の電飾

2011年12月19日
すごいんですよ




それが道路から
ちょっとしか見えなくて




もったいないんです。




現地にいらっしゃると
この3枚分の電飾が
いっぺんに見られるっていう
特典があります。

北野振興会長のオキタさんが
夫婦げんかした時なんか
仲直りするのに見に来てください
っていうことでした。

来年の1月18日までだそうです。

みなさん
ご利用くださいね。



にんじんが甘い

2011年12月20日
CAPたかおかの集まりは
普段
高岡地区でやっているが

年1回の食事会は
気を遣って
南砺市方面にしてくださる。

どっか知らない?
ということで

「野菜のビュッフェがおいしいイタリアンレス…」

皆まで言わぬうちに
 
「そこにしよ」

ということで
久しぶりのプリマランチとなりました。




にんじんwithにんじんソース

カロテンが口の中ではしゃぎます。




プリマさんとこのクリーム和えは
ゴルゴンなんとかのチーズが入っていて
めっちゃおいしい。
おかわりしました。




ねぎ、水菜、キャベツ、
冬の野菜はみんなあまーい!
まだ行きますよー、




ごぼうにほうれん草、チンゲンサイ




小松菜君、おいしいぞー

そして




こりこりとあまくておいしい
ミニキャロット

冬の野菜ゆうて甘いわ。
あんた、どれもどんなうんまいもんなら。
いっかい食べてみっしゃいか。

そして
甘い野菜は続く。
冬キャベツとアンチョビのスバゲテー。




締めは
アイスとハーブティー。







高岡の人
まっで喜んでくれしゃったし。
よかったわー。

あ、さぶいかもいうて
ひざかけも貸してくれしゃったよ。

「冬」編まだな人は
いっかい行ってみられたらいいわ。

固結び

2011年12月21日
今日は隣組の忘年会で
お寿司やさんであったので
うちの人が
お寿司をもらってきました。

やったー!!

その上
母もうちの人も食べないというので
わたしが
正面に折りを置いて
ひとりでお寿司に向かい合います。

ムフ


折が紐で固結びになっている。




すぐ食べたいのだが
この結び目がほどけないからと
はさみでぶちぶち切るのも
くやしい。
そして
ほどくとなると
こまかい作業になるので
メガネがいる。
おや、
メガネがここにない。

メガネメガネと
またもや探して回り
やっと見つけて

結び目をほどき
明日までは保たないだろう
美味しい生魚系を
いただき
最後にかっぱを1こつまんで
箸を納めました。

うまかったです。




ばあちゃんは
こんな紐もみんなとっておいてました。
紐も包装紙もみんなみんな
とっておいてました。

この手の紐を見る度
ばあちゃんを思い出します。

それにしても
たらふく夕飯を食べた後の
これです。

年末はやばいぞやばいぞ。

遺影

2011年12月21日
父は
今年初めから
食欲がなくなり
自分がいなくなることも考えて
最低限の経済系大事なことは
話してくれた。

元気なうちに
遺影とか葬式とか
そんなことも話しておけばいいとは
聞くけど
実際は
だんだん病状が
進んでくると
そういう相談はできないものですね。

だから
亡くなってから
写真を探してみたけど
あまりに痩せていて
病人らしいとかみすぼらしいのも
いやだし

元気で出掛けていた頃の写真は
メガネを掛けていたり
帽子をかぶっていたり
いざ
探してみると
なかなかこれという
写真が見つからず

おばちゃんが
金婚式のときの写真ないけ?
と言ってくれて
そうやそうやと
金婚式の時に
母と二人で写真屋さんで
撮ってもらった
写真を遺影にすることになった。

今から6、7年前で
父はまだぱりっとしている。
緊張して少しこわい顔をしていて
短気だった父を思い出させる。

朝ドラ「カーネーション」に
出てくる小林薫扮するお父ちゃん
かぶっているね、
と、
母とテレビを見ながら
言い合ったけど
あのような支配的で気の短い父だったけど
よく気が回って
よくも悪くも
「家長」だった。

でも
だんだんと弱ってきてからは
怒ることも減って
いつも
家族に感謝してくれて
やさしい父になった。
病気のおかげで
弱ってきたおかげで
私は父といっぱい
心を通わせることができた。

弱ってきてからの父の方が
ずっと好きだった。

だから
わたし的には
遺影は
ちょっとこわくてちがうな
もうちょっと
笑ってる顔の方がいいな
と思うんですが

母は気に入っているようで
だからそれでいいです。


ハンサムな雪だるま

2011年12月22日
今まで見た中で
いちばん
スマートな雪だるまかな。




ぼけてるのが残念。

気付かない幸せ

2011年12月22日
うちのお父ちゃんは
だんだん弱りだったので
それで元気なお父ちゃんだったものだから
一つひとつの弱り方、

一人で外出してたのに
行けなくなるとか

風呂に介助が必要になるとか

お父ちゃんが
ひとつ弱る毎に私が傷ついていた。

でも
ひとつ悪くなる毎に
今までの方が良かったんだから
もっと悪くなっていくんだから
今の状態を
受け入れてよろこんでいくしかないなと思った。
むずかしかったけど。

親が元気で
心配することがないときは
平気でケンカができたし
言い争いができた。

だから

親とケンカできる人は
とても幸せです。

と同じように
うちの人、お母ちゃん、娘が元気で
心配することがない
というのは
とても幸せなことなはずだ

とさっき気がついて
喜べることは
今のうちに
喜んでおかないと

思ったので

喜んでいるところです。

日本の民主主義の元祖

2011年12月23日
城端小学校前にありました
二宮金治郎像がこの夏に壊れ

ご寄付いただける志の高い企業数社と
へちまださんのご尽力により

この度
新しく立て直されることとなりました。

ということで
二宮金次郎像再建建立記念で

世界に誇る日本の道徳力
−心に響く二宮尊徳90の名言−

      石川佐智子著 コスモトゥーワン






この本には90の名言が書いてあるのですが
今日は作者が尊徳に興味を持つようになった
くだりのところをご紹介します。

 じつは、私が尊徳に興味を持ったのは、中学教師をやめた昭和四十四年、教育界に矛盾を感じ戸原藤七伯父(全北海道報徳社専務理事)を訪ねて教育談義をするなかで尊徳の話を聞き、その実像を知ってからでした。

「戦後の日本人が忘れた尊徳を、日本で民主主義を行った人としてアメリカ人はよく知っているのだよ。第二次世界大戦の末期になって、敗戦がわかっても止めようとしない日本軍に、アメリカ軍が飛行機からビラを撒いた。“日本には民主主義の元祖二宮尊徳がいるではないか、彼に倣って、みんなで会議を開き、早く戦争を止めなさい!−とね。
 アメリカ人はよく日本を研究しているよ」

 それでも日本人は戦争を止めなかったので二度原爆を落とされついに敗戦。米軍は七年間の占領政策を終えて本国に帰りましたが、GHQの情報局長インボーデン少佐は帰国のときに、あの金治郎像を持ち帰り、自宅の庭に建てたとか。



90の名言のなかで
どれが特にその辺に当たるのかは
また今度。

久しぶりの漫画

2011年12月23日
マキちゃんから
ずっと前に借りていた
コミック

「リアル」 井上雅彦 ヤングジャンプコミックス




「バガボンド」とか描いているのを
プロフェッショナルで見たことはあったけど
漫画を読むのは初めてでしたが
もちろん
超おもしろくて
先日の日曜日に
一度読み出したら
止まらなくなり
10巻
無事読み終えました。

車椅子バスケの話で
井上さんはバスケットボールの
何とかという有名な漫画もありましたよね。


とてもおもしろかったのですが
残念なことがひとつ。

10巻で
お話が完結するのかと
楽しみに読んでいたら

10巻目で
やっと本題に入ったことがわかりました。

お話はこれから始まるのです。

ガピーン!

「ガラスの仮面」みたいに
これから先、
ずっーと続くのを
ちょびっとずつ話が進んでくのを
待ってないといけないんですね。

買わずに言うな!
一応自分で突っ込んでおきます。

マキちゃん
11巻目が出たら貸してね。


親切なご婦人

2011年12月24日
さっきニュースで
高岡の愛育園に鉄人28号が
おいでたというニュースをやっていましたが

おとといの夜
CAPのワークで
愛育園に行ってきました。
愛育園は
ちょっとわかりにくいところにあって
しかも夜なので
しかも遅刻しそうになっていて

困っているところに
ヤマザキパンのあかりが見えて
買い物するヒマもないけど
とにかく道だけ教えてもらおうと
店の中に入りました。

こんにちは
というと
80前後のおばあさんが
いらっしゃって
愛育園に行きたいんですが
この辺ではないでしょうか
とお尋ねしました。

おばあさんは
すぐ外に出て
(寒いのに)
あそこに寺あったやろ
あそこの前をまっすぐ行かんと
曲がって

と地べたに
雨で濡れているのに
指で書いて
教えてくださいました。


とてもわかりやすくて
おかげですぐ見つかりました。

急いでいて
何も買うことができませんでした。

ありがとうございました。

高岡の愛育園のそばの
ヤマザキパンのパン屋さん
もしみなさん
ご近所に行かれることがありましたら
ご利用くださいね。

四十九日法要

2011年12月24日
四十九日法要です。




今日のために
お花ももろうたよ。お父ちゃん








天気予報では
横殴りの雪マークが出ていたこともあって
天気を心配していましたが
思いのほか午前中などお日様が出ていたりして





3時から墓場へ行きまして
霰は降っていました。

現場に行って
お寺さんに傘を
と誰かが言ってくれて
お経を読んでいただくために
傘を準備しようとしたら

「なーん、
 傘要るほどせんと
 早くやらせてもらいますちゃ」

「そんなこと言わんと30分でも」


笑いがあふれた納骨となりました。

雷はなっていましたが。




お父ちゃん
ありがとう、
お父ちゃん。

ロース3枚と40万円

2011年12月25日
今朝のフジテレビ「僕らの時代」は

立川志らく×毒蝮三太夫×高田文夫

による
談志追悼番組

追悼番組ではこれが一番おもしろかった。

高田文夫が
立川一門の一番弟子とは知らなかった。

高田文夫がおもしろい。
で、
高田文夫の思い出話を。

九州の地方紙のインタビューに
高田文夫が談志のことを
「奴さん」と言ったのが
そのまま文字に上がってしまって
談志が激怒した。
詫びを入れたいと高田文夫は
志の輔に仲を取り持ってもらおうと
相談する。
志の輔がイエモトにお伺いを立てると
「ロース3枚と40万円」が
詫びの条件。

高田文夫は
自分がロース3枚を用意するから
40万を用意してくれと
志の輔に頼む。
何で私がと言いながら
志の輔は40万を準備。
無事にことは収まったのだが
志の輔は仲を取り持ったばかりに
40万まで出して
何で私がと言いながら

「まあいいや、おもしろいから」

もう全部が落語。

談志は名人で
名伯楽で
でも
何より
みんなに愛された人なのだ。

毒蝮三太夫さんは学生時代から
50年あまりの付き合い。
少なくとも3度は殺意を抱いたことがあると
言っていた。

楽しいエピソードがいっぱいで
また書き足しますね。

浅田真央のたたずまい

2011年12月25日
2時からの法要だったので
8時には片づけも終わって
お母ちゃんとスケートを見た。

お母ちゃんも私も
お目当ては真央ちゃんだ。
真央ちゃんが見たいのだ。

お母さんを亡くされて
初めての試合なので
どうだろうという気持ちもあるけど

でもそれでなくても
「真央ちゃん」なのだ。

きのうの男子のSPを見て
思ったけれど
若手の台頭がすごい。

ジュニアのクラスの選手でも
バリバリ表現力のある選手や
え、こんなかわいいのになぜ今まで知らなかった?
と思う選手や
ジャンプもぼんぼん跳んでいて
いつの間に日本は
こんなすごいことになったんだろう、

感心してみていた。

表現力で言えば
村上選手、鈴木選手の方が
上を行くような気がする。

でも
真央ちゃんだ。

それこそ
この間書いたけど
なにか
「感じがいい」のだ。

画面に映る真央ちゃんは
決して取り乱すことなく
感情的になることなく
とても
静かだ。

崇高といってもいいくらい。

彼女は目の前にある自分の階段だけを見つめ
一歩一歩進む。

あぁぁ、
(この書き方はいのさんから習った)
ますます感じいい!
ますます目が離せない!

死のいいところ

2011年12月26日
イケてない名前と
時々このブログにも書いてきた
城端教育振興会は主なメンバーが
PTA会長経験者で
特に強制はしない集まりだ。
だからよく参加してくださる方と
そうでもない方と
それはそれでいいのだが

沢田さんはできる限り参加してくださった。

去年は高校のPTA会長もされ
お忙しい様子だったが
6月の懇親会には来てくださって
楽しいお酒を飲んだ。

今日
沢田さんの訃報を聞いた。
56才だった。

9月にぜんざい作りの参加を尋ね、
病気療養中のため参加できません、と、
メールで返事をいただいたのが
最後だった。


真央ちゃんのお母さんが亡くなったときに
お父さんの談話として
真央ちゃん姉妹が

「母のやすらかに眠っているような顔を見て、
やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、気丈にしています」

と書いてあったのを思い出す。

「死」のいいところは
闘病生活が終わるところだ。
言うことを聞かなくなった体から
離れられる。

四十九日に
寒い墓に父ちゃんを入れるのは
かわいそうな気がしてそう言ったら
母が
「なーん、今でさぶもないし暑もないし
 痛もないし、らーくになってやさかい
 どーもないちゃ」
と言った。

そうだね。
沢田さんも、
真央ちゃんのお母さんも、
談志さんも、
父ちゃんも

今は楽になって
風になっているのだ。

風になって
星になって
私たちを見守り続けるんだね。

千の風になって

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています

あの 大きな空を 吹きわたっています

腰痛

2011年12月27日
一昨日の朝起きて
腰を伸ばそうとすると
アイタタ
状態になり

ずっと「く」の字の状態で
移動した。

座って姿勢が固まると
痛くはないので
普段と変わらないが

立ったり座ったりが
恐ろしい。

ちょっとした角度で
びりっと
痛みが走って

それがどの角度で
どう来るのか
動いてみて初めてわかるので

試しに動いては
アイテテ
動いては
アイテテ
となる。

事務所の椅子には
ローラーが着いているので
椅子に座ったまま
移動していた。

痛めてみてはじめて
普通に腰を伸ばして
まっすぐ歩けることって
なんてステキなんだろうと
思う。

夕方
接骨院に行って
マッサージしてもらって
電気を当ててもらって
体操を教えてもらって

今日はだいぶよくなりました。

あの痛み方は
神経がはみ出てきて
それが触っていたいような
感じなんだけど
よくなるっていうことは
神経が元に戻って
いくんだろうか。

よくわかりませんが
この暮れのあわただしいときに
ひとまず
1の字であるけるようになって
ホッとしているところです。

感じのいい人

2011年12月28日
先日
今月の城端時報を見ていたら
南砺市「市展」の
写真の部の「市展賞」の受賞者のところに
私の知っている
H銀行のSさんの名前が書いてあった。

今日
用事で家に寄ってくださったので
あれはSさんですか?
とお尋ねしたら
そうだ
ということで
へえー、すごいすごい、
とひとしきりその話になった。

Sさんは
感じがいい人(好感を持たれる人)だ。
とても美人だし
いつもいい香りがするし
で、
持ってきてもらう情報が
いつもちょうどいい。

ちょうどいい感じなのだ。

仕事のことだけでなく
いろいろと興味を持って話を聞いてくださるので
父が生前、家でお茶会のまねごとをしたときには
来てくださったこともあるし
Sさんが婦人会のお世話を
なさっているときに
城華の昔の衣装をお貸ししたこともある。

つきあいが広がっていくのだ。

だから
Sさんがおいでると
もうちょっといてくれないかな
なんて思ってしまう。

っていうSさんの
市展の入賞のいきさつを聞いた。

Sさんが
お客さんの家に
飾ってある写真がすばらしかったので
ステキですねー、と褒めた。

そのお客さんは
写真同好会の副会長をされていて
いい写真を撮りたいと思うなら
こういうカメラがいいよ
と親切に教えてくださった。
最初は買おうとまで思わなかったが
お目にかかるうちに
思い切ってそのカメラを購入した。
そのうち
写真同好会に入らないかと
誘いを受けて同好会に入り
今度の入賞は同好会に入って
3年目の快挙ということだった。

写真のことがやっとすこーし
わかってきました、

と謙虚そのもの。

そのお客さんも
わたしと一緒で
Sさんといると楽しいから
話をしたり同好会へ
お誘いのなったのだと思う。

っていうSさんに
わたしも万華鏡の話を
させてもらったりなんかしちゃったりなんか
しちゃって
とても楽しい時間になりました。


めざそう、感じのいい人。

柿の木はどうなったか

2011年12月28日
18日に
カラスが食べて
柿の実が減ったと
書かせていただきました。

18日の写真です。





そして
今日




まほろばちゃんと
冬はまだ長いのに
正月前に
こんなに食べちゃって
大丈夫かね、
と心配しています。

これがなくなったら
カラスは一体どうするんでしょう。

っていうか
今までカラスは
これまでの冬の間
どうしてきたんだろう。

今度カラスに聞いてみよう。




実を啄むカラス

今日は本当の自分だったか

2011年12月29日
きのう
寝ようと思ったら
野球のトライアウトの
ドキュメンタリー番組をやっていて
ずるずると見てしまった。

自由契約になった野球選手たちが
再起をかけるがけっぷち。

連絡を待ち
携帯が鳴る度にドキッとする雰囲気とか
見守る家族のおろおろ感とか
12時を回っているというのに
(いつものことか)
引っぱられて
最後まで見てしまった。

トライアウトっていうのは人生が詰まってるよねー。

マキちゃんが
「リアル」の11巻を持ってきてくれた。




この巻は
バスケットボールのチームの
トライアウトシーンが
真ん中に来ていた。

1次審査で10人が選ばれる中に
実力がないのに選ばれたヤツ
(もちろん主人公のひとり)がいると
落ちた選手の中の一人が
クレームをつける。

ネームっていうの?
それを書いていくと

クレーマー「なぜ野宮が10人に残る…?
     どこにでもいる凡庸なPG…!!」


審査員「チームに必要な人材を探すのが
    トライアウトの目的
 
    必ずしも上手い順に10名では
    ないこともあるよ」


クレーマー「チーム…… フォア・ザ・チーム?
      そういう選考基準があるのなら
      先に言ってくれませんか?
      
      俺もいつもはチーム優先
      人生を懸けたトライアウトだからこそ
      個人をアピールしたのに…!!」


審査員「だとすると今日の君は嘘か?
    
    いつの君が本当なんだ?


このクレーマーさんの気持ちよくわかる。
えー、なーんだ、
そういう基準で選ばれるの?
っていう負け惜しみ。

今日の自分は
本当の自分だったろうか。
きのうはどうだったろうか。
ふと思います。

とにかく
今日はユカターズの忘年会。
ユカターズって
あのBグルのユカターズです。

鍋と1品持ち寄りで。
さあ、それではそろそろ準備を。




コロッケさんの話

2011年12月30日
テレビは
特別番組が多くなりました。

被災地の番組が多いです。

忘れてないよ、
忘れてないからね、

テレビ局の人も
見ている人もそう思っているから
そんな番組ができるのでしょうね。

たくさんの人が
何とか力になりたいと
活動なさっているのを
たくさん見せてもらってきました。

ものまねのコロッケさんも
被災地に足を運ばれたようで
夕方の歌番組に出ていらっしゃって
炊き出しに行かれたときの話を
されました。

炊き出しにうどんを
出していたとき
一人の少年(小学校低学年ぐらい)が
列に並んでいて
うどんをもらうと
その場で食べずに
うどんを運んでいく。
気になってずっと見ていたら
道路を渡って
向こうにいるおばあさんに
そのうどんを手渡した。
そのあと少年は
また戻ってきて
300人ぐらい並んでいる
列の後ろに
今度は自分のために
また並び直したというのです。

コロッケさんは
少年が自分のうどんを手にして
食べているとき
少年に
えらいね
と声を掛けて
抱きしめたくなって
抱きしめたらいやそうにしていました、

と最後は笑いを
とっていらっしゃいましたが

ほんの1〜2分の話でしたが
とても印象的なお話でした。

心に残るのに
お話の
長い短いは関係ないものですね。

さあ
明日は大晦日
といっても
またもたもたと
あっという間に過ぎていきそうです。

タートルネック

2011年12月30日
東京で
JA全国女性役員研修会があって
帰ってきた次の日の朝

ちょっとした顔のお手入れに
鏡を見る私の顔が
なんとなくほころぶ。

なぜかというと
東京の研修会の懇親会で
隣に座った44才の三重の
女性事務局の人と
お話ししたときに
「同じ年ぐらいかと思ったー」
と言われて
えー!
そんな
10も若く見られるなんて
目が変ですよとかいいながら

若く見られたことは
超久しぶりだったので
ずっと
なんか
いい気持ちだった。

なので
帰ってからも
何となくうきうきと
鏡を覗いたのだ。

でも
顔はいつも通りの顔だし
それに
首の
首の
たるみが
おおおおおー。

東京の懇親会のときはどうだったのかと
思い出してみると
そうだった、
あごの下まで来るぐらいの
ハイネックだった。

雪がすべてを覆い隠すように
タートルハイネックが
いくつかの問題を隠してくれる。

新しいタートルネックを
もう1枚2枚
準備しておこう

とユニクロへ行って
買ってきました。
ちゃんちゃん。

信じる係

2011年12月30日
B級グルメで優勝して
代表のマエダさんに
高齢者大学で講演をしてくれないか
との依頼があった。

どんなことにも
前向きなマエダさんなので
引き受ける方向で考えていますと
ユカターズのメンバーには
連絡をもらっていたのだが

この間会ったときに

よく考えてみたら1時間半も
話ができるかな

と弱気なことを言うので

大丈夫
絶対できる
とにかく引き受けて
それから考えよう


とにかくできるから
引き受けんなん

とそう言って念を押した。

ユカターズの6人の中で
私の係は

「信じること」

だと思っている。

マエダさんは
リーダーでいろいろな面で
引っぱってくれているし

タカザワさんは
実務に長けていて
漏れがない。

カヲルさんは
アイディアが豊富で
事をおもしろくしてくれる。

ヤマザキさんは
すべてを受け入れてくれて
いつも後方支援に回ってくれる。
こういう人がいるから
回っていくのだ。

わたしは
「前方焚きつけ係」だと
自分で思っている。
何かをやろう、
絶対できる、

そう信じる係だ。

いろんなところに顔を出してきて
このグループには
もっと潜在能力があると
私はずっと思ってきたし
今年少し形になった。

でももっと力があると
私は思っている。

だから
「信じる」係。


そして
後方焚きつけ係が
マサミちゃんだ。

B級グルメが終わって
間もないのに

「次 何やるが?」


ぼそっと言った。


おぉぉー、もう次かい、
とみんな少しびっくりした。

というわけで

これからも
楽しいことを考えられたら
いいなーと
思っています。

ウッス!


婦人会

2011年12月31日
班の婦人会メンバーは5人です。
で5年に1回
支部長というおまけの役も付いてきます。

でこの前と同じ人が
支部長付き走り
になってしまうので
入れ替わって
わたしが支部長付き走りを
することになりました。

婦人会の役員は
人の分までやりたいとも
思いませんが
嫌いではありません。

いろいろな人と知り合いになれるし
毎月走りで 班を回りますが
結局こういうことが
地域のつながりだよな
わたしは大事なことをやっているんだぞ
えらいぞ
などと思ったりしましたし、

地域にとって
女の人のつながりは大切だと思うし
特に
震災のあとは余計にそう思います。
セーフティネットというのは
足りないところは作る必要があるかもしれませんが
老人会、区長会、振興会、PTA、婦人会、農協

無駄に重なるつながりが
地域を支えています。

ですので
若い人が婦人会を辞めたがっている
という話を聞くと
正直
心が痛みます。

でも
それを止める力など
まったくありません。

だから
私のできることは
回ってきたときに
その役をやることだけです。

娘のシューカツだってそうです。
本当は帰ってきてくれると
うれしいなともちらっと思いますが
娘の人生ですので
止めることなどできません。

私のできることは
楽しそうに生きて
相談しやすいような
人間でいることだけです。

なんて
いい子になって
今年を締めくくります。

外はお月様もお星様も出ていて
よいお天気です。

皆様もよいお年を。

ぼんやりと過ぎる大晦日

2011年12月31日
最近どうもぼんやりしていて
夜寝るのが遅くなり
そうすると
朝起きるのも遅くなる。

で、
嫁でないのをいいことに
8時まで寝ていた。

そうしたら
親戚に不幸があったと
新聞で分かり
午前中は葬式に参列

11時過ぎに帰ってきて
娘と話をして
お茶を飲んだら
もうお昼。

たかじんの番組をやっていて
ずるずる見ていて
買い物に行って
帰ってきて
ブログを書いちゃおう
と思いながらも
あっちへふらふら
こっちへふらふら
ネットサーフィンをして
やっと今
どうでもいいことを書いて

これが終わって
晩ごはんの支度をして
紅白歌合戦と
ガキ使の笑ってはいけないを
ザッピングしながら見て

1年の最後の日が
終わっていくのだ。

娘は今
大学3年生ということで
シューカツが始まっている。
この間から
企業説明会に行っているらしいとのことで
買い物に行きしな
どうやったどうやった?
と聞いてみると

みんなしっかりしておいでた、大変やね、

と他人事のように話すので

あなたも大変な一人のはずなんですけど

と言ったら

ああ、そうやった

と言っていた。

でも親がこんなふうなので
あまり意見はできない
うまくいくといいね
ぐらい言っているのがせいぜいだ。

きのうテレビを見ていたら
1ユーロ99円のニュース速報が入った。

この間から
ヨーロッパの問題は他人事でない
と解説の人が話していらっしゃるけど

ニュース速報が入ったあとは
またバラエティ番組が続く。

私ら親子のような
ずるずるぼんやり日本人も
ずいぶん多いのかもしれない。

などと思う
ぼんやり大晦日でした。
作者 : はれあたま

 かなり生きてきて、でも、生きてきた中で今が一番楽しい気がしています。ブログに参加することでもっと楽しくなればいいなと思ってます。

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